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物における歴史あるいは偶然性の連鎖としての現在――山本おさむ「ランドセル」『オーロラの街』

20131224 物における歴史あるいは偶然性の連鎖としての現在――山本おさむ「ランドセル」『オーロラの街』

 

人間の行為は偶然性の連鎖にある。そして、人間の生命もまた、偶然性の連鎖にある。この連鎖が少しでもずれれば、その生命すら存在しない。1秒の狂いによって人間の営みが破壊されることもあれば、反対に生命を保持することもある。たとえば、交通事故を例にとれば、数秒の差で命を失ったり、事故から免れたりすることもある。

そのような偶然性の連鎖は、人間だけではなく、自然においても存在している。自然界においても生命連鎖は人間と同様に存在している。

また、人間の労働力によって生産された物もまたそのような産物である。どのように大量生産されようとも、全く同一のものは存在しない。もしそうでなければ、不良品などは生じるはずがない。不良品と判定されなくとも、それにかぎりなく近い製品もあれば、それと限りなく遠い製品もある。

いかなる物も、使用されることによってまた別の物へと変容する。使用者がかわることによって、その物の意義づけも変化する。また、その物自体も時間の経過によって変容する。その変容が極端であり、使用者が極端に変わる場合、ある物語が生まれる。

山本おさむは、ランドセルを例にしてある物語を紡ぎだした。その物語が「ランドセル」である。[1] この物語において、ランドセルという同一物は、時間的変容によって極端にその外観を変えている。新品で購入された時期は昭和30年前後であるが、物語が始まる時期は、昭和35年である。その間に昭和32年の諫早大水害が入っている。この水害によって、赤いランドセルは、黄土色のボロボロのランドセルへと変化している。水害で流されて、様々な人を介して、現在では貧しい母子家庭の1年生、昇平の所有物になっている。もとの持ち主、妙子は、すでに幽冥界を異にしている。物語では、この物を介して、死んでいった少女の意思を少年が認識することによって、自己の運命を受け止め、新たな旅立ちをする。

もちろん、すでに死んだ人間がこのような物、ランドセルの時間的変容を語ることは、現代科学ではありえない。しかし、漫画という表現方法は、過去と現在を同時間的に共存させることができる。この方法を使用することによって、ある物における歴史が偶然性の連鎖として解明された。そして、どのような物であれ、時間的変容つまり歴史を有していることを、山本おさむは解明した。

 

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山本おさむ「ランドセル」『オーロラの街』第2巻、小学館、1999年、198-199頁。

 

[1] 山本おさむ「ランドセル」『オーロラの街』第2巻、小学館、1999年、169-208頁。

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