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分際を守ること――極道の世界と学問の世界――村上和彦『第三の極道』

20140420 分際を守ること――極道の世界と学問の世界

村上和彦『日本極道史(平成編) 第三の極道』第11巻、竹書房、1998年、194-195頁。

 ある世界において小さな組織もあれば、大きな組織もある。その生存をかけて小さい組織が大きな組織と闘争すれば、最終的に前者は壊滅するしかない。もちろん、大組織が小組織を壊滅させようしないかぎり、後者はその分相応に対応するしかない。もし、その分限を超えた場合、後者は滅亡する。とりわけ、極道の世界であれば、その成員の死を意味している。  

 分限を守ることは、極道の世界だけに妥当するのではない。一般社会においても妥当する。多くの企業が対等に商取引を行っていると考える人は、現実社会にはいない。親会社―子会社―孫会社という重層的な構造のなかで、活動を余儀なくされている。対等でないがゆえに、多くの孫会社は無慈悲な値引き交渉を経験している。この値引き交渉によって利益が幾らかでも出るのであれば、この理不尽な要求に対応する。

 平等原則をかざして、その契約における理不尽性を社会に問うことはしない。今後の受注に影響があるかもしれないからだ。

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 学問の世界にそのような事例も往々にしてある。著名なボス教授がある研究会において、「社会主義政権における核兵器は素晴らしく、資本主義におけるそれは危険である」、という主張を繰り返していた。今日ではこのような主張をする教員に対して、馬鹿の一言で終わりである。
しかし、1989年までは、このような教授でさえ、教授であった。多くの若い大学院学生は、この教授にどのように接したのか。彼らの多くは沈黙せざるをえなかった。あるいは微笑で答えるしかなかった。学生と教員、とりわけ著名な教授に対してあえて異論を呈するもでもなかったからだ。
 私も沈黙を守った記憶がある。その教授を糾弾することが正義とは思えなかった。それを間違っているとも思えない。分際を知っていたからだ。教授と学生は対等ではない。村上和彦は、この分限の思想をあらためて指摘した。対等であることが自明の前提である社会において、勘違いする輩も多い。人間は、秩序の中に位置づけられた存在である。この意味を村上和彦は、明快に表現している。日本漫画史に残る傑作であろう。

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