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函館の衰退――江差線(江差―木古内間)の廃止

20140511 函館の衰退――江差線(江差―木古内間)の廃止

 本日、2014年5月11日でもって、江差線の江差―木古内間が廃止された。この列車は、本日の最終列車であると同時に、江差行の最終列車である。昨日までは、この列車が翌日の始発電車になったはずである。しかし、本日の最終列車が函館に到着することは永遠にないであろう。  

 もちろん、津軽海峡線(函館―木古内間)は残る。しかし、函館は鉄路として江差を結節することはできない。鉄道地図から、江差が消滅する。当然のことながら、この意味は江差にとって重要である。さらに、函館にとっても重要である。青函トンネルの開通によって、函館はすでに鉄路による松前との結合を喪失している。江差との結合を喪失したことによって、函館は、鉄道による日本海沿岸との結節点を喪失する。歴史的に考察すれば、函館は周辺都市、江差、松前を鉄道によって結合することによって繁栄してきた。その一端がなくなった。もちろん、青森、札幌等との鉄道による結合は残存しているが・・・。かつて田中角栄は「赤字ローカル線が集まって、新幹線が黒字になる」と言ったそうである。その赤字線がなくなった。2015年には北海道新幹線が新函館まで開通する。赤字ローカル線を廃止してきたJR北海道に未来はあるのであろうか。  

 識者は言うかもしれない。もはや、鉄道の時代ではなく、道路の時代である、と。江差と函館間には国道228号線があり、2019年には函館と木古内間には自動車専用道路も開通するではないか。それで十分ではないか。公共交通に限定しても、バスがあるではないか。自家用車も利用可能である、と。果たして、そうであろうか。

 北海道の交通は冬場を基本としている。豪雪の降るなかで、凍結した道路を高速で運行可能であろうか。鉄道は豪雪にもかかわらず、ほぼ定時に運行可能である。その選択肢が喪失された。  

 次に、バスという公共交通が鉄道に対して代替される。バスは自家用車と同様に道路を使用する。利便性という観点からすれば、バスは自家用車に対抗できない。また、自家用車と同様に、環境に対する負荷をかけるし、自家用車と同様な欠陥を持っている。渋滞すれば、使用不可能である。鉄路は道路とは本質的に異なる。  

 さらに、大間原発建設によって、函館市は避難計画を作成しなければならない。東京電力株式会社福島第一原子力発電所の問題も同様である。収束宣言が出されているが、近い将来の危機については少なくとも議論の対象になっている。 30万人という膨大な都市住民に関する避難計画が作成されねばならない。多くの選択肢を必要する。数日間で30万人を避難させねばならない。少なくも、その避難計画作成は、函館市行政の責任である。道路だけに依存する避難計画は無意味である。道路は一台でも自家用が止まればそれでお仕舞である。ガス欠等が多発するであろう。後続の自家用車は渋滞するだけである。JAFも到着できない。阿鼻叫喚する運転手とその家族に放射能が襲いかかる。もっとも、放射能を浴びても気が付かないし、すぐには健康被害もでないであろうが・・・。

 江差線があれば、事情は異なっていたであろう。大間原発あるいは東京電力福島第一原子力発電所において危機的状況が発生したとしても、偏西風によって、江差等の日本海側は安全である確率が高い。また、より西に位置している奥尻島への鉄道と船舶による避難も考慮されるべきであった。江差線の廃止によってその可能性もなくなった。 道路に一元的に依存する社会は、脆弱である。

(写真上は、最終江差行列車の函館駅における雄姿である。さすがに、この列車は3両編成であり、多くの乗客が乗車していた。写真下は、列車が去った後のホームである。函館の将来を暗示しているかのようである)。

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