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概念とその俗流的解釈――風間やんわり「いまじん」『やんわり社会派宣言』

20140523 概念とその俗流的解釈――風間やんわり「いまじん」『やんわり社会派宣言』  
                                       
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 この漫画においてリストラされた中年男性が、職安においてプロサッカー選手の職業を探している。職安は公共職業安定所の略称であり、通称ハローワークと呼ばれている。ここで世の中に存在するすべての職業を紹介してくれるわけでない。医師や大学教授の職業を職安で紹介してもらったという話は、聞いたことがない。また、都市銀行の正社員もここで紹介されることは、おそらくないであろう。大学の就職部等を媒介にして、採用されるし、途中採用であっても、営利企業によって媒介される。  

 俗論的に誤解されると、あらゆる機関、そして概念はその内実と矛盾している。少なくとも、職安には、東京大学法学部4年生が列をなすことはない。就活中の東大生が求めている職業は、ここで紹介されない。限られた職種しか、紹介されない。看護師、社会福祉士等の免許を持った求人を除くと、ここで紹介される職業の多くは、ガテン系に近い。月給100万円の求人情報をここで紹介されたという事例は、皆無に近いであろう。投資銀行の辣腕トレイダーも、ここでは紹介されない。職安に求人情報を出す前に、決定されるからだ。況や、ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンのMFを日本の職安で紹介されることはない。過去にもなかったし、未来永劫にわたってないと断言してよい。    

 にもかかわらず、このリストラされた中年男性は、職安にプロサッカー選手の職業を求めている。職安あるいは別の機関が、一元的に職業斡旋をすべきであるという前提、あるいは幻想が潜んでいる。すべての職業は職安において斡旋されると。しかし、それは社会主義的幻想でしかない。資本主義は、私人の自由を前提にしている。労働力の売買契約は、契約自由の原則に属している。このような幻想が実現されることはない。  

 風間は、この幻想の非現実性を漫画において表現している。主人公は、この漫画の前半部で、大金持になって、妻と離婚し、新しい彼女と交際することを夢見る。しかし、 彼が職安担当者をどのように罵ろうと、その窓口でおいて、この幻想はすぐさま否定される。面白く、やがて哀しき求職者として、家路に着くしかない。

  風間やんわり「いまじん」風間やんわり『やんわり社会派宣言』講談社、2008年、140頁。

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