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大学教授の社会的有用性

20140207 大学教授の社会的有用性

 

多くの大学生は、卒業後ビジネスマンとして就職してゆく。彼らは、学生時代において難解な文学書あるいは哲学書をなんなく理解していた。あるいは、理解していたと考えていた。その理解に基づいて、先輩や教師と議論していた。マルクスや浅田彰等の専門書を持ち歩くことは、ファッションの一部であった。基礎的教養書と言ってもよかった。

しかし、卒業後、それらの本は彼らにとって疎遠なものになる。西田哲学を愛読書の一つとしているという卒業生は、あまりいないであろう。

彼らからすれば、大学教授は、学生時代を数十年かけて継続しているように映る。時代遅れという蔑称と、頑迷性に対する羨望である。同じことを数十年継続すれば、なんかの形は残る。馬鹿でないかぎり、毎年論文を書いてゆけば、本を数冊保持することは容易い。

以上のことは、ビジネスマンから見た大学教授像である。もちろん、近年の政治学者は政策志向を高めている。ビジネスマンと似通った大学教授も多い。むしろ、今後数十年の時間間隔で考察すれば、そのようになるであろう。

化石のような学者は、不必要であろうか。その問題に対して、答えるすべを持ちえないという解答しかできない。

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