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1980年前後における近代の揚棄という思想史的課題の残存――後期近代という時代精神の勃興期

20140208

 

1980年前後における近代の揚棄という思想史的課題の残存――後期近代という時代精神の勃興期

 

1980年前後という時代において、後期近代が多くの人にとって当然視されていた。初期近代的な思考様式は衰退し、近代の揚棄という課題は社会内において捨て去られていた。この数年後、日本経済はバブルに踊ることになっていた。バブル経済の予兆がすでにあった。しかし、大学という空間において、近代の揚棄という思想史的課題がかなり真実味を帯びた形で残存していた。早稲田大学を革マルが、法政大学を中核派が、明治大学を解放派がそれぞれ拠点大学としていた。少なくとも、新左翼運動が何であるかぐらいは、学生であれば承知していた。昼休みには彼らが演説をしていた。通学途上における立て看を通じて、彼らの主張が眼に入ってきた。

もちろん、多くの一般学生にとって、彼らの主張を受入れることは困難であった。しかし、近代とは全く異なる世界が活動家学生の頭脳において想定されていることは、自明であった。全面的ではないにしろ、この世界の現実的有効性が信じられていた。少なくとも、仏教やキリスト教によって唱導されていた天国や地獄よりも、この世界が有効であった。もっとも、多くの一般学生にとって、この世界はたとえば共産主義社会、社会主義社会と同様な恐怖政治と同義語であったが・・・。

一部の学生の間では、1980年前後、宇野経済学がこの課題を遂行するためにとって有効である、と信じられていた。岩田弘が宇野三段階論に基づき、現状分析を遂行していた。彼によって提唱された世界資本主義論をバイブルとする学生も、少なくなかった。宇野経済学方法論が、近代日本の現状分析として最も有効であった。東京大学経済学部では山口重克等の俊英が、宇野経済学原論を講義していた。彼らの弟子は各大学に偏在していた。

しかし、さらに少数の学生は、近代を揚棄するためには、経済学ではもはや不可能であろうと想定していた。マルクス主義経済学の最高峰であるとされていた宇野経済学をいくら勉強しても、近代の揚棄という課題を見出すことは困難であった。むしろ、その原理論を学べば学ぶほど、資本主義の永遠性を信じるしかなかった。

どのような学問を学べば、近代の揚棄が可能であろうか。この問題設定に対する解答を未だ持ち合わせていない。

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