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討論会  地方自治

地方自治において、「過密と過疎」の問題が重要である。この意味に関する討論会を主催する。締切は、1月28日である。この記事のコメント欄にお願いする。

本日1月30日をもって、終了しました。討論ありがとうございます。

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討論」カテゴリの記事

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暴飲暴食

過疎とは、人工の急速、かつ大幅な減少に伴う、地域社会の機能低下、そして住民の生活水準の低下であり、単に人口が減少する事象を指しているわけではない。過疎の原因はというと、文字通り人口減少によるものだが、その人口減少の原因はと言うと、都市部への人口の移動、少子高齢化によるところが多い。日本では、明治以降続く中央政権政策で、政治経済・文化が首都であるや県庁所在地などの都市部への一点集中が進行し、首都一極型の発展続いた。1960年代の高度経済成長期には、急速な工業化により、村落から都会への人口移動が起こり、基幹産業を持たない地域は労働力の供給基地となり、過疎化が発生するようになった。また炭鉱の閉山、山間部におけるダム建設などの開発により過疎化が起きる場合もあった。
その後、日本の産業は第二次産業中心から第三次産業中心へと移行し、政治・経済の中央集権的傾向も改められずに人口の偏りは続き、中央政府が景気対策として実施した公共事業により地域産業の中央依存傾向が強まることで、地域の自立性が失われていった。過疎地域の市町村が求めた高速道路などの交通網の整備は「利便性の向上により、都市部への人口流失に拍車がかかる」という循環を生じさせている。
さらに、1990年代以降はバブル崩壊の余波を被り、その後の景気回復は立ち遅れ、ますます過疎地域の拡大を招くこととなった。特に核となる基幹工業に乏しく、農林業、鉱業、零細漁業に依存していた中山間地区、半島などで顕著であり、北海道、秋田県、島根県、高知県、長崎県などは人口減が著しく、近年は首都圏など一部都市圏を除いてほぼ全国的に過疎化が進行している。
また、21世紀前後頃からの平成大合併により、周辺部の過疎化の一層の進行や行政サービスの低下が懸念されているが、 一方で、人口の拡大期に人為的に拡大された居住区域からの人間の撤退=自然の回復という側面もあり、またコンパクトで効率的な都市部に人口を集中させることによって社会の持続性が保たれると考えて過疎を肯定的に捉える考え方もある。
また地域産業経済の停滞なども挙げられる。かつて日本で基幹産業であった農林水産業が衰退してしまったからだ。したがって、過疎が発生しやすい場所は、政令指定都市や県庁所在地から距離が離れた、交通の便が悪い市町村や離島などである。過疎により、日本国内で問題として取り上げられているのは、シャッター街の増加、上に取り上げた産業の衰退、税収の減少、身寄りのない高齢者の孤独死の増加などだ。
これに対して、過密とは大都市圏内に人口、都市機能が一点に集中する現象を指し、この原因はというと、やはり過疎化が進んでいる田舎の市町村などに比べ、インフラ整備が高度に発達しており、交通の便もよく、政治や経済の中心地となっていることが挙げられる。また地方に比べ、住民同士の結び付きが弱く、煩わしい人付き合いがないという点も、移住する人々を増加させ、人口過密を招く原因とも考えられる。これは、過疎化の問題点でもあるが、過密により、村落や地方都市が衰退していくことは多々ある。これは、道内における札幌と函館の現状を比べるとよくわかるだろう。また自然災害や大規模なテロが起きた場合、都市機能の麻痺が、国全体に影響を及ぼすこともある。(政治の中心と経済の中心が重なっていることが多くあるため)またロンドンなどの例も挙げられるが、犯罪が増加する傾向もある。
これらを解決し、過密や過疎と向き合いながら、地方自治をしていく策としては、まず総務省が奨励するソフト事業への取り組みがある。市町村や地域の人々各々が自ら考え、自分たちが主体となり行っていくことが重要で、その内容としては、住民福祉の向上や雇用の拡大、地域格差の是正などが挙げられる。また、地方の住民たちには、地域資源を最大限活用して、地域の自供力を高めていくことが今求められている。過密に対する策としては、都市部に見られる住宅高層化や、授業でも取り上げられたが人口過密地域に入る際の微税徴収、また郊外にニュータウンの建設、さらに地方におけるインフラ整備などが挙げられる。地方に空港や新幹線などを建設して、交通の便を良くすることによって、都市部から地方への移住者を増やす、または地方から都市部への人口の流入を防ぐということが重要だ。

投稿: 暴飲暴食 | 2014年1月29日 (水) 00時00分

 現在過密地域や過疎地域と呼ばれる地域において、近代化が問題の原因のひとつとしてあげられる。近代化によって、産業構造の変化や地域交通の変化が起こり、コミュニティの崩壊が引き起こされた。地方自治が成り立つためには、その構成谷である自治体が地域的なコミュニティを持っていることが必要である。伝統的コミュニティは前近代社会の村落共同体に典型を見出せる。そこでは、伝統としゅうぞくによって村落の一体性が保障されており、また農業生産の共同性によって村落の共同性が保障されていた。こうしたコミュニティでは集団の秩序が自然に構築されやすく、秩序を維持するための人為的努力は必要とされなかった。こうした伝統的コミュニティは第二次世界大戦後の急激な都市化と工業化によって解体されたが、共同体の和を保つことをもって自治とする傾向は完全には消滅していない。しかし、都市化と工業化などの産業構造の変化によって若者の人口は都市部に集中し、地方の過疎化と人口の高齢化が起こった。過疎地域にすむ高齢者の多くは一人暮らしであるため、周囲との交流が見られなくなり、コミュニティの崩壊が引き起こされた。また、過密地域では人口の流動性が高いため人間関係も希薄なものにしかならない。そのため、私生活へは不干渉となり交流は見られなくなり、コミュニティの崩壊が起きた。
 コミュニティの崩壊、すなわちコミュニティの不在は住民の定住意識が育たないという問題につながる。地域の問題に関心を寄せるのは、その地域に住んでいるという自覚があってこそである。その自覚は同じ地域の他の住人との不断のコミュニケーションを通じて形成される。こうしたコミュニケーションのネットワークがコミュニティであるため、コミュニティの不在は住民相互間のコミュニケーションが充分に行われていないことを意味する。また、コミュニティの不在にともなって教育、医療、保健など従来地域社会のなかで解決されてきた問題が地域社会を抜きにして処理されていくことが問題となる。もともと子供の教育は家庭・地域・学校の3つのレベルで行われてきた。しかしコミュニティ不在の今日では地域で共同社会の基本的なルールを教えることができない。さらに家庭の教育も充分に機能していないこともあり、学校教育が異常に肥大する結果にもつながっている。医療や保健においても、普段のコミュニケーションの不足により地域住民の相互的扶助による急患への対応や孤独な高齢者の介護にあたることが不可能となる。
過疎地域でのコミュニティの崩壊は、過疎地域に住む人々の精神面にも影響を及ぼしている。周囲との交流が見られなくなった高齢者が心身の不調に悩み自殺に走ることもある。実際、過疎地の高齢者自殺率はかなり高い。コミュニティの崩壊は青年層にも影響を与えている。青年層の間で仲間が少ないため、仲間同士の交流も期待できない。一方、過密地域では人がいるから交流があるともいえない。近代化によって仕事の量も質も以前より高いものが要求されるようになった。科学の進歩によって人々は多忙化し、仕事に関係のないコミュニケーションはとらないようになった。さらに、最近の情報化と国際化の流れの中で、首都圏が国際的な情報中枢都市としての役割をもったことで各企業の本社も東京に集中する傾向にある。上場企業本社全体の半数以上が首都圏に集中している。このことで、首都圏の地価が暴騰した。そのため、多くの人が郊外に移り住んだ。昼は首都圏へ働きに出、通勤通学に時間を取られるため、郊外はベッドタウン化した。そのような中でコミュニティを形成することは非常に難しくなっている。
 コミュニティの不在を解消するためには、地域住民の自主的な参加が絶対的に必要である。行政が行えることは限られている。例えば、住民が気軽に使用できるコミュニティセンターの設置や地域住民に集会や催し物の機会を提供したり、住民が自主的に組織する文化団体やスポーツ団体に財政的援助を与えることである。近代的なコミュニティは個人を単位として成り立つものである。個人の関心は様々で一つとは限らない。住民の多様な関心に応じた多様な組織が作られ、それぞれの組織がそれぞれの目標に応じて活発な活動を行う結果として近代的コミュニティの形成が行われる。町内会や自治会が個人を抑圧するのではなく、個人をサポートするような自治が求められる。

投稿: 植物図鑑 | 2014年1月28日 (火) 18時15分

過疎と過密について考えるうえで、過疎地域として私の地元である秋田県O市、過密地域として首都圏である東京都を例に挙げて考えていきたいと思います。まず初めに過疎地域について考えていきます。秋田県O市は、人口88,231人と1995年に比べて今年2014年は77,805人となっており、人口が数十年で大幅に減少しており、減少した原因として考えられるのは、高齢化社会の中での中小企業が倒産などにより就職先が減少し、他県に就職先を求め地元からでていく人が多いことが考えられます。他県に就職先を求めて出ていく人が増加するということは、地元で過ごす時間が減少することから地域住民との関わりを持つ時間が大幅に減少し、地元である土地に関する関心や興味が薄れることが問題としてあげられます。地元である土地に興味が薄れるということは、その土地の問題や衰退していく商店街などに目を向けることが無くなるのでその土地はどんどん衰退していき、さらに人口減少に拍車をかけることになるのです。そして交通面の問題もあげられます。しかし、交通面が充実しているからといって過疎問題が解決するかといったらそれは間違いです。交通面を充実させてもその道路を利用するひとがいないのではただの税金の無駄遣いになってしまいます。では、なぜ過疎地域には就職先が少ないことと交通面の問題がどう人口減少にかかわりがあるのか。そこで、考えられることは市の行政が過疎地域として深くかかわりがあると考えられます。このような過疎問題が発生した地域の場合、その地方自治はどうあるべきか。秋田県O市の自治体では、過疎地域自立促進特別措置法に基づき、総合的かつ計画的な対策を実施することで、地域の自立促進を図り、もって住民福祉の向上、雇用の増大、地域格差の是正を図ることを目的とした計画を立てており、地域住民の声や意見をもとに過疎問題を良い方向にむかえるような対策をとっています。このように、地域住民の声をもとに考えることは自治体に必要なことなのではないでしょうか。また、地域住民の声をもとに過疎問題を解決していくにあたって、地域住民の声に左右されすぎないことも地方自治体にとって重要なことでしょう。次に、過密地域である東京都を例に挙げて考えていきます。過密地域である東京都にはどのような問題が発生するか。首都圏である東京都に海外金融機関の進出や就職先が充実していることから、他県から職を求めてくる若者などによる人口の増加に連なり、中小企業や大企業まで会社をたてる土地を求めるため東京都の地価が暴騰する。郊外に移り住む人が増え、郊外地域に住み東京に仕事に通う人が増加する。通勤の際に交通機関を利用するため経済的な効果も見込めます。そのことによって東京都周辺の郊外地域に住居地を求めて東京都を中心に郊外地域も人口増加が見込める。しかし、このような過密地域にも問題があるのか。あげられる問題としては、東京都のコミュニティーと東京都郊外のコミュニティーが薄れるということがあげられる。郊外から通勤するということは、通勤に時間が取られるため、自分の住む地域とのかかわりが薄れます。昔の日本や現在の東北などは、近隣住民との関わり合いが深く助け合いの社会ともいえるのではないでしょうか。このような助け合いの社会の中では、近隣住民とのつながりや絆が深いため、いざ震災や自然災害が起きたときに近隣同士の助け合いが自然と生まれます。しかし、現在の東京都やその郊外のような過密地域の場合、コミュニティーが薄れているため、自然災害などが生じた場合都市全体で混乱状態に陥ることが考えられます。そのような過密地域は普段、地方自治はどうあるべきか。コミュニティーの衰退は自治体がどうあるべきかととらえるよりも、コミュニティーというものは、その地域に住む地域住民が自主的なコミュニティーの参加を望まなければコミュニティーは確立されない。では、地方自治体はどうあるべきか。考えられるのは、住民が参加するコミュニティーの場を作るということである。自治体は、地域住民がコミュニティーを作り出せる場、例えばスポーツ施設やコミュニティーセンターなど積極的にコミュニティーの場を作り、住民に与えることである。しかし、このような場を自治体が作っても、住民が利用しコミュニティーに自分から参加していかなければ何も意味を持たないと言えるだろう。この問題は過疎地域であれ過密地域であれこれからの日本にとっての課題ともいえるだろう。

投稿: 花鳥風月 | 2014年1月28日 (火) 17時36分

過疎過密について
 近年の過疎過密の原因については、道州制の考え方が当てはまると考える。まず、道州制とは現行の都道府県を集中することによって、広域の州を形成しようとするものである。道州制の例としては、北海道の札幌市に中央省庁の出先機関が集中していることがある。また、裁判行政における高等裁判所が、東京高等裁判所、大阪高等裁判所、名古屋高等裁判所、広島高等裁判所、福岡高等裁判所、仙台高等裁判所、高松高等裁判所、札幌高等裁判所と、所在地がほぼ道州制の首都に対応していることなどがある。目的としては二重行政を解消することにより国家公務員の削減をし、国家財政の赤字を解消することや行政効率の向上ということがある。しかし、それは州都と関係が薄い地方は過疎化し、逆に州都は栄え人口の過密化がおこってしまうという問題がある。北海道を例にすると、札幌を中心として北海道の重要な拠点である小樽、苫小牧、旭川を結んだトライアングルの中が栄え、情報、物質、人間はトライアングルの中へ流入し、その外部の都市は過疎化現象が生じる。また、北海道に関してはこれから新幹線が開業する。この北海道新幹線は札幌と本州の仙台や東京といった主要都市を最速で結ぶことが目的であるため、通ると遠回りになってしまう函館市は通らないし、札幌より奥への線路の延伸は考えられていないし、そのような計画ができることはないと考えられている。そのためこの北海道新幹線開業により、さらに札幌を中心としたトライアングルの中は栄えて、その外側の地域は過疎化することが予想される。このようなことが近年の過疎過密の原因であると考えられる。
 地域の過疎過密による結果としては、過疎地域が住みにくい地域となってしまうことがあると考えられる。たとえば住民の高齢化である。栄えている地域に人口が流出してしまうため、仕事が過疎化地域では少なくなり若い人が都市のほうへ移り住んで就職してしまう。また、公務員などで過疎地域に住んでいるとしてもそのような田舎に飛ばされるのは若い人が多いといわれているから、そこで結婚して住むとしても産婦人科がないような町もあるし、ほかの町で出産をしようとしても交通費や宿泊費などがかさんでとても難しいと思われる。そのためそのような悪条件では子供を作ることが難しく結局子供を作らずに歳をとってしまう可能性が高い。また、子供ができたとしても学校が近くにないことや、生徒が一学年に数人しかいないというような状況もありうる。このようなことも少子化問題の原因の一つではないかと考えられる。また、バスなどの町が運営する交通機関なども利用者が少なくなり赤字を防ぐために本数や路線を減らすということもある。このような住みづらい地域であれば結局は若い人がいなくなってしまい産業がなくなり、病院や学校が減り、また人がその地域からいなくなってしまうというような悪循環が生じて結局は他の町と合併したりしてなんとか町の破産を防ぐしかないのかなと思った。過密地域の問題としては人が多くなることにより犯罪が増える可能性が高いと考えられる。しかし過密にはメリットもあると考えられる。たとえば都市部の過密によって周りの地域がベットタウンになることにより都市部で働いている人の家族が住むことや、多くの宿泊施設ができることや交通機関の発達などによる地域の発展につながるようなことがあると考えられる。このようにそれまで栄えていなかった都市部の周りの地域がより栄えるというようなメリットが考えられる。
 町おこしや若者の呼び込みなどにも限界があると思うから、このような過疎過密を解決するには国策として道州制のような政策を進めていくのではなく、もっと違った政策を考えていく必要があると考える。しかし現実的に考えると、それはかなり難しいことだと思うし、できる可能性もかなり低いと考えられる。そのためこれから先は道州制のような政策を行い、少しでも州都となる都市やその周りの生活を便利にし、行政効率の向上や国家公務員の人件費削減を重視し、そこから外れた地域は合併するなどして何とかやり過ごすしかないのかなと思った。そのためこれからの過疎過密はこれからさらに進んでいくと考えられる。

投稿: 西岡南小 | 2014年1月28日 (火) 17時29分

『過密と過疎について』

 ●「過密」
「都市の発展」と「地方とりわけ農村の停滞」は相互に関係性を持つものである。大都市は地方からの過剰な人口が都市へ流れ込んだことにより過密状態となっている。「過密」とは、大都市に人口や、交通手段、行政的な機能、商業や教育などのあらゆる都市機能が過剰に集まる現象のことである。日本の大都市の過密化の原因は1960年代の高度経済成長期に、地方の過剰人口(不要人口)が都市へ流れ込み、都市の生産力に支えられた中で安定的な職場がふえ続けたことに始まる。1970年代に入ると従来なら農村の後継者であった人までもが都市に住むようになっていった。発展し過密化が進む大都市部とは対照的にこの時期より都市から離れた農山村で過疎化が目立ち始め、現在でも多くの地方は停滞にとどまらず衰退が進んでいる。これまでは農山村で生まれた子供のうち、家や土地を受け継ぐ立場でない子供たちが都市へ働き先を求めて流入したことが大都市の過密化の主な原因と考えられる。しかしその後はこの大都市の過密化を情報の発達が手助けしている。情報の発達があらゆる人々の間の情報の共有を可能にした。
その結果、例え大都市でなく地方にいたとしても常に大都市の最新の情報が得られるようになった。さらに、交通網の発達も伴ってより大都市へのアクセスが容易になってきている。このような状況は地方に住む人々、とりわけ若者の大都市への憧れや魅力の形成を助長することとなった。現在では地方、農村地帯に生まれた子供たちでも生涯、自分の生まれた地域で暮らすことを絶対的な条件とは考えていない。大都市における過密化は今後も進んでいくと予想される。
大都市が過密化している結果、様々な問題が起こっている。大気汚染や騒音などの環境的な面での問題だけのとどまらず、家賃を含めた物価の上昇も否めない。人口増加に伴う廃棄物の増加とその処理の問題。保育園・託児所不足も共働きという状況が浸透している現代では深刻な問題であると言えるだろう。止まらない人口の流入に、国や都市側が住民の生活に必要な施設の整備が追いついていない状況が起こっている。交通機関の発達を主とする利便性とは対照的に都市部での生活環境はすべての住民にとって住みやすい状態とは言い難い。

●「過疎」
大都市の過密化が進むにつれて地方は過疎化が進行し、小都市や村落が衰退するという状況に陥っている。「過疎」とは、人口が急激に減少したため、地域社会で担っていた様々な機能が低下し、そこに住む住民が一定の生活水準を維持することが難しくなった状態のことを指す。地方の過疎化の原因として考えられることは、前述での大都市の過密化の原因と結びついている。地方の過剰人口の流出と、情報の発達が助長する若者の地域離れである。過疎化が進んだ結果、地方においては、小中規模の農業が省力化されつつ受け継がれてきた。やがて兼業化によって所得の増大が図られ、そのような地域で後に行われたのが、工場の誘致である。これは始め、都市から比較的近い農村地帯が行政の負担や優遇措置を伴って誘致の努力を行った。しかし衰退してゆく地方が発展を試みて現在、これにならって工場の誘致をすることは望ましいことではない。むしろそれは逆に若者の都市への流出を加速させてしまうのではないかと私は思う。仮にある地域に何らかの工場が誘致され、働く場所ができたとしても、そこで働く人は給与水準に満足がいくようには思えないからである。地方に工場を誘致した場合、輸送コストがかかる上に、その土地によって出荷体制が異なりそのための整備も必要になってくる可能性がある。このようなことから働く人の賃金は低くなってしまうだろう。様々な可能性のある若者の職場としては望ましいものではなく、地域に魅力を感じなくなった若者は給料もよく利便性も高い都市部へ流れていくだろう。
また、過疎化する地域を発展させるために大きな産業を興そうとするのは、理想的ではない。『過疎地域において最初から大型の産業が成り立つ道理はない。』(宮口 侗廸 2003,p64)とも言及されるように、過疎地域においては大都市と同じ発展の方法ではいけないのである。人が増えない地域として自分の地域が置かれている状況を冷静に認識する必要がある。人口が減り、特に高齢化も伴った過疎化では、発展的な取り組みを行おうとしても簡単には地域の振興には繋がらない。行政が行う事業の必要性をしっかり見極める必要がある。財政的にも余裕のない地方では、間違った事業展開に無駄な投資をするのは大きな損失である。
これからの地方自治のあり方としては、人口の減少を悲観することなく、価値のある少数で形成されるコミュニティーを作ってゆくべきである。その地域の発展を測るものは人口の増減ではなく、そこに暮らす人々がどれだけ豊かになったか、あるいはどれだけ住みやすくなったかという基準で測るべきであると考える。例えば、その地域に元からある産業のあり方を改善することによって所得が増えた住民がいるかどうかなどである。もしいたとすれば、地方の発展を意味するのではないかと考える。発展は試みる際には必要なことは自分の住む地域がどのような地域であるか知ることである。そのためにはほかの地域を知ることである。他の地域を知ることで自分の地域の特色が見えてくる。「全国川上サミット」(全国川上6町村)のように同一の名前から交流を行い、「川上宣言」(きれいな水と自然を守りながら、価値ある生活を築くことを誓い合っている)にて連携を成し遂げた例もある。このように他地域との連携によって達成される発展もある。
これからの地方のあり方は、人口減少を阻止しようと奮闘するのではなく、人口減少を受け入れたうえでそこからどのように住みやすく、価値のある地方へと展開してゆけるかということに重点をおいていくべきである。

投稿: 六星占術 | 2014年1月28日 (火) 13時28分


近年、雇用の場を求めて地方から都市部への人の流入が激しくなっていることは誰もが知っていることだろう。そのため、都市部では過密における交通網の麻痺や、犯罪が多発している。逆に地方では、過疎による労働力の低下や農村の高齢化で限界集落と呼ばれる自治体の機能が極端に低下している地域もある。そこで、前記したものは人口の流動のみの原因に基づいて述べたわけで、過疎化にはもっと他の原因があるのではないかという疑問が生じた。そして、過疎地の地方自治体の取り組みを挙げ、これから地方と中央がどうなっていくことが理想であるか、述べていくこととする。
 まずは、過疎地域についてである。私は、過疎の原因は人口の流動より他にあるのではないかと考えた。それは人が都市部に流出してしまう原因ということだから、つまり地方では生活ができない、働き口がないということになる。働き口がないというのは、原点に戻ると農業の衰退であると私は考える。過疎の流れというと、経済の基本である農地の減少から始まり、労働力が出て行ってしまう、そして家族や地域単位の共同体が解体され、最終的に残るのは、農業収入と年金で暮らす65歳以上の高齢者になるというわけだ。この危機的状況下で実際に限界集落ではどのような取り組みをしているのだろうか。
 これから紹介するのは、石川県羽昨市菅池区についてである。この地域は65歳以上の農業従事者が6割を占め、集落全体でわずか27軒の小さな集落である。菅池区では農業が主だが、集落の5割以上が耕作放棄地である。農業を手放した若者たちが働きに出てしまっているのである。そこで菅池区では移住者を受け入れることにした。しかし、移住すること自体も簡単なことではない。移住者は集落の人々と面接をしなければいけない。移住者側にはここで何をしたいのか、どうやってそれをしていくのか、ビジョンをはっきりさせることが求められる。小さい集落であるため、27世帯が一つの家族のようにかかわりが強い。だからその移住者の人間性や誠意を見せる必要があるのだ。この面接は、移住者と住民が円状になって行われる。私はこの面接というか移住者を責めるような仕組みに違和感がある。この集落を限界集落から脱出させたい、若者を増やしたいというのが住民の本意であるはずだが、あまりにも閉鎖的すぎて、変化を嫌っているように思えたのである。人を増やすということは、小さな集落では極端にいえば異文化の混入とも言えるのだと考える。しかし、若者を呼びたいならば、もっとそれ相応のニーズに応えていくことも大切である。実際に移住してきたのは3組で、3組中2組が農業をしている。農業をしたいと思って移住してきた2組は、すぐに農業が甘くないということに気づいたが、それを集落全体でサポートしていった。移住者の屋後さんはリストラを心配するより、自分の手で稼いでいきたいと意気込むが、苦労した分の利益が得られないとも語った。問題は、農業を若者が続けていけるかであると考える。この3組の移住者のおかげで菅池区は高齢者の割合が57パーセントから47パーセントに下がり、限界集落からの脱出を遂げた。この菅池区の例から分かるのは、若者が農業を続けていくことの難しさと、集落の閉鎖的態度である。自治体は、もっとオープンに活動していくべきだと考える。
 次に過密化についてである。主な理由は雇用の場を必要として農村から流入してくることにあると考えられる。関東圏でいえば、東京は政治の中枢であり、経済の集中である。人が集まってくることは避けられないのだが、過密化による問題が次のようにあげられる。
 まずは、交通渋滞など交通網の機能麻痺である。これを改善するためには、都市部への車入れの際の徴税が緩和方法としてあげられる。次に、住宅の絶対数不足によるホームレスの増加である。これは、多摩ニュータウンなどにみられるように、地域自体を拡大しまう方法がある。しかし、これは人口だけのための拡大で雇用が追いつかなければ、逆に交通網に悪影響を及ぼしてしまう。
 都市に人口や産業が集中してしまうのは発展途上国においても先進国においても同じことで、仕方のないことであるとも考えられる。しかし、それをどう改善していくかというところで、地方の過疎地が頑張らなければならないのである。過疎地においては、今までの身内意識にとらわれずに、もっと広い視野で若者を受け入れ、育てていくことが重要であると考える。高齢者たちは変化を恐れずに、若者達にその土地の文化や風習を伝えていくべきである。そして、若者達もただ住むだけでなく、文化や風習まで伝承していくことが過疎化からの脱出に必要なことであると私は考える。そのためには、地方自治体も、さらにアピールに磨きをかけ、過密に疲れた若者達にここで家族を持ちたいと思ってもらえるような地域づくりが重要である。先ほど紹介した石川県羽昨市菅池区のように、変化を拒まないことが過疎化脱出への第一歩であると考えられるだろう。

投稿: 春夏秋冬 | 2014年1月28日 (火) 12時50分

「過密と過疎の現状」 日進月歩

はじめに
 現在、日本は総人口に占める65歳以上の高齢者の割合が24.1%という超高齢社会である。さらに、出生率の低下や女性の晩婚化などによる少子化も問題となってきている。この少子高齢化に加えて、昭和30年代以降の高度経済成長に伴い、地方から都市への人口の流出により、地方での過疎化が進行し、一方、都市では人口の集中による過密問題が発生した。
 過密とは、大都市に人口や産業が集中し、都市機能が過剰に集まる状態のことである。日本では、首都である東京をはじめ、大阪、名古屋への人口、産業の集中度が高くなっており、過密化が進んでいる。一方、過疎とは、人口が著しく減少し、例えば医療、教育、防災等の地域における基礎的生活条件の確保にも支障が出て、その地域で暮らす住民の生活水準や生産機能の維持が困難になる状態のことをいう。こうした過密と過疎の問題は、これからの日本にどのような影響を及ぼしていくのだろうか。過疎と過密の原因と、その課題について考察することとする。

過密の原因と問題点
 過密の原因は主に、若者を中心とした都市部への人口流出による人口増加と高度経済成長による産業の発展である。第二次世界大戦の敗戦後、1955年から73年までの20年ほどの高度経済成長を迎え、日本経済は飛躍的に成長を遂げた。当時、日本の経済成長率は年平均10%を越え、国民総生産はアメリカに次ぐ第2位にまで上りつめた。首都である東京を例にすると、東京は政治や経済の情報が集中するため、主要な企業が本部を置くようになった。出版社・新聞社・マスメディアなども東京に本社を設立し、情報の発信の中心となったのである。高度な教育機関や文化施設なども立ち並び、日本全国、世界各国から人や企業、物資が集中するようになった。こうした大都市での人口、産業の集中により、少ない土地を有効利用した高層マンションや高層ビルが増え、街の景観も大きく変化し、東京は大都市へと成長した。結果として、都市での生活は豊かなものになったといえるが、都市の過密による様々な問題も発生した。
 通勤・通学輸送の余裕のなさや、路面交通の著しい渋滞等の都市交通問題を惹起しているにとどまらず、交通公害といった深刻な社会問題をもたらしている。慢性的な渋滞が続く道路や、混雑した通勤電車、長い通勤時間なども大きな問題である。24時間営業の店や深夜営業の店も年々増えている。それに伴い、物資の夜間輸送や夜間勤務も大幅に増加した。生活スタイルの違いから、深夜の騒音問題なども増大した。

過疎の原因と問題点
 都市が過密する一方で、地方から都市への人口流出により、地方では過疎の問題が発生した。若者たちが都市へと移住することで、過疎地域では、昭和35年から45年の間で10%人口が減少した。現在も過疎地域における人口減少は年々増加傾向にあり、少子高齢化の問題が最も顕著に表れている。過疎地域における年齢別の割合を見てみると、0~14歳人口の割合については全国平均と過疎地域とで大差ないが、15~29歳の若年者比率は13.0%で、全国平均の17.4%と比べると、低くなっていることがわかる。そして、65歳以上の高齢者比率は30.2%であり、全国平均の20.1%を大きく上回っている。また、今後も過疎地域における若年者の減少、高齢者の増加は全国平均を上回るペースで進行していくことが予想されている。また、高齢者の孤立死の増加や、後継者不足、交通網の未発達など、その他さまざまな問題が起こっている。これらを食い止めるためには過疎地域へ人々を呼び戻す必要があるが、都市住民が地方への移住や交流に興味を持っている人は全体の約3割に留まっており、過疎問題における大きな課題となっている。

これからの過密・過疎対策
 現在の日本は、過密も過疎も非常に深刻な問題に発展しつつある。具体的な過密対策としては、都市の再開発や、持続可能なインフラストラクチャーの整備を進めることが求められている。また、都市から地方へと人口を分散するために、地域の魅力を積極的に広め、活性化を図るとともに都市住民のニーズを満たす移住・交流の推進の必要がある。
一方、過疎対策としては、平成22年に「過疎地域自立促進特別措置法の一部を改正する法律」が施行され、過疎対策事業債のソフト事業への拡充や対象施設の追加を行うなど、過疎地域自立促進特別措置法の改正がなされた。過疎地域自立促進特別措置法は、人口の著しい減少に伴って地域社会における活力が低下し、生産機能及び生活環境の整備等が他の地域に比較して低位にある地域について、総合的かつ計画的な対策を実施するために必要な特別措置を行うことにより、これらの地域の自立促進を図り、住民福祉の向上、雇用の増大、地域格差の是正や美しく風格ある国土の形成に寄与することを目的としている。これらの対策が今後の日本を大きく左右することになると推測される。子どもから大人まで、生涯安心して暮らせる活力に満ちた社会の実現が求められている。

参考資料

国土交通省「過密・過疎問題と交通」
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa45/ind010103/003.html

総務省「過疎地域の現状、これまでの過疎対策、過疎地域の課題等について」
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/2001/kaso/pdf/kasokon19_03_s5.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%81%8E%E7%96%8E%E3%81%AE%E7%8F%BE%E7%8A%B6'

総務省「過疎対策」
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/2001/kaso/kasomain0.htm

投稿: 日進月歩 | 2014年1月28日 (火) 11時36分

はじめに
 私は、函館市に生まれ、幼少期は北斗市(旧大野町)、小学生時代は八雲町、中学生時代は伊達市で暮らし、再び高校生に函館市へ戻ってきて現在に至る。はっきり言って今まで暮らしてきた地域は過疎地域にあたるだろう。そういうわけで、過疎について重点を置きつつ、テーマである過疎と過密についての原因、結果、そこから地方自治の在り方と現在暮らしている函館の在り方について考えていきたい。
1 原因と結果
 まず、現在のように過疎と過密が問題となった原因を考えていきたい。主な原因としては、県庁所在地、東京といった都心などを中心とした都市部への人口の移動や、少子高齢化などではないかと考えられている。
 次に時代背景を考えていく。主な原因としては、昭和30年代の高度経済成長期の急激な工業化により、地方から都会へ、特に太平洋ベルト地帯への大規模な労働力の移動が起こった。工業基盤を持たない地方の地域は労働力の供給地となり、このことが過疎化へとつながっていくことになった。
 また、このような中央集権的な考え方は戦前の明治から始まっていて、政治・経済・文化の中心である東京や県庁所在地への一極集中が進んでいたことも元々の原因と考えられている。
 そして、産業の構造が第二次産業から第三次産業中心へと移行したものの、日本の中央集権的な考え方は改めることなく進行し、政府がテコ入れのために実施した公共事業により地域産業は中央に対しての依存が高まり、地域の自立性が失われていった。そして、過疎地域が求めた高速道路や新幹線などといった交通網の整備は、皮肉なことに地方の人口を都市部へと流出させることとなる事態(ストロー現象)が起こってしまっている。
 1990年代以降はバブル景気の崩壊により、景気回復は立ち遅れ過疎地域の拡大が広がった。特に工業関係に乏しく、農林業、鉱業、漁業などに依存していた地区は顕著であり、近年は東京を中心とした首都圏など一部を除いてほぼ全国的に過疎化が進行している。
 過疎地域が全国に占める割合は、全国1720市町村あるうち、46.1%の775市町村が占めている。対して過疎地域が占める人口の割合はたったの8.1%であり、面積は57.2%が過疎地域が占めている。(総務省 平成23年度版過疎地域の現況)
 また、過疎地域の占める高齢者率は高く、若年層は少ないのも大きな特徴で、後継者が不足してきて共同生活も危ぶまれてきている状態が起こり、また「限界集落」という過疎化が進行して、人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、家を継ぐ若者が流出して、冠婚葬祭や農作業における援助など社会的な共同作業が困難になった集落も出てきている。
 次に過密化について述べる。日本はこのような時代背景のほか、山がちである地理的条件も持ち合わせているため、狭い平地への人口の偏在が著しいのである。そうした中でも官庁群を中心としてオフィスが集中している東京都への人口集中が顕著である。
 過密から発生する問題としては、自然災害が発生した時に、都市機能が麻痺し多大な影響を与える。実例としては東日本大震災においての帰宅困難者が問題になった。次に道路渋滞、鉄道混雑が発生し、移動時間が長くなる。また、鉄道は人身事故等の事故が起こると何万人という人々に影響が及ぶ。次に大気汚染・水質汚濁などの環境問題を引き起こす。私自身以前に東京へと旅行に行ったことがあるが、水道水があまりに不味く気分が悪くなった記憶がある。
2 現状から地方自治の在り方と函館の在り方について考える
 以上のように現在の日本では過疎と過密の問題が存在し、年々顕在化してきている。この問題に対して地方自治はどうであるべきか、また函館はどうであるかを考えていきたい。
 現在のような状態に至った原因はまず、中心に政治・経済・文化が集まる中央集権的な考え方にあるのではないだろうか。確かに中央に権限を集中させることは無駄がなく合理的かもしれない。しかし、過疎化が進むことにより、伝統文化・芸能の消失、山村の原風景の喪失、自然環境の貧困化を招く恐れがある。このようなものが消失してしまったら二度と戻ってくることはないのである。
 そういうわけで、現在の中央集権的な考えを廃し、地方に権限を与える「地方分権」の考えが重要になってくるのではないだろうか。地域のまちを作るのは中央政府ではなく、その地域であるからだ。これからの時代こそ地域のまちづくりは我々自分たちの手で行うべきではないだろうか。
 函館も同様で下手な観光地化するような箱館奉行所の建築や、約6000万円をかけて設置された観光案内情報端末「函館インフォメーション」などという馬鹿馬鹿しいものに重点を置くのではなく、もっと市民目線でコンパクトかつ市と市民一体となって作り上げるまちづくりを進めていくべきではないだろうか。(1978字)

投稿: 龍頭蛇尾 | 2014年1月28日 (火) 04時24分

村、には過疎、都市には過密、町には過疎、過密という、それぞれ形態を持っている。これらがなぜ過疎、過密と均等になることがないのか。まず、過疎と過密とは昭和30年代以降、日本経済の高度成長の中で、農山漁村地域から都市地域に向けて、若者を中心に大幅な人口移動が起こったため、特に大都市地域では人口集中による過密問題が起こるようになった。過密の主な問題とは自然災害が発生した時、都市機能の麻痺が広範囲に及ぶ、人が多いのでトラブルが起きやすくなり、犯罪が増加するなどがあげられるが、一番にコミュニティの崩壊がある。過密によるコミュニティの崩壊の例とは同じマンションに住む住人の顔さえも知らない、向こう三軒両隣の人がどんな仕事をしているかも知らない、 そんな状態が地域コミュニティとして成立しているとは言えない。過密が便利さと裏腹のコミュニティの崩壊を招き、公害や犯罪などに悩んでいます。これが地方であったら、住民や地域全体のコミュニティが成立している。地域全体の地縁的関係が深く、別の言い方をすれば協調性が成り立っているとも言える。一方、農山漁村地域である過疎地域では、人口の減少により例えば教育、医療、防災など、その地域における基礎的な生活条件の確保にも支障をきたすようになるとともに、産業の担い手不足などにより地域の生産機能が低下してしまった。過疎というのは、このように地域の人口が減ってしまうことで、その地域で暮らす人の生活水準や生産機能の維持が困難になってしまう状態である。過疎対策は、そのような地域における住民福祉の向上や働く場の創出を図り、更には豊かな自然環境や伝統文化などの地域資源を生かした個性のある魅力的な地域づくりを進め、森林や農地、農山漁村を適正に管理して美しい国土を保全し、過疎地域が国土の保全・水源のかん養・地球温暖化の防止などの多面的機能を発揮して、国民生活に重要な役割が果たせるようにするためのものである。またインフラ整備や雇用の確保なども重要になってくる。
次に過密問題の対策は単純に面積を拡大するか人口を減らすしかない。また人口過密地域に入る際に、税金を徴収する方法。つまり関所税である。ただし、地域内の産業を衰退させる可能性があるので日本での実用は難しい。また地域を外部に拡大し、人口を拡散させる方法。具体的には、多摩ニュータウンなど職住近接型のニュータウンを開発する、などである。ただし、隣接地域の人口密度が高い場合適用できない。人口だけを郊外に拡散させて産業の拡散が伴わない場合、交通渋滞や鉄道混雑をさらに悪化させることもある。また、中心部の産業を衰退させ、市街地の空洞化・治安の悪化を引き起こすこともある。これを「ドーナツ化現象」と呼ばれている。つまりこれらから私はまず過疎問題を解決すべきだと考えた。過疎地域の活性化すなわちその地域独特の魅力を発揮して地域を盛り上げて呼び込めば、過密問題も徐々に解決するのではないかと考察した。

投稿: 午後紅茶 | 2014年1月28日 (火) 00時25分

今日の日本では、人口減少、人口の高齢化と共に、過疎化と過密化が急速に起きている。この過疎化と過密化は、第二次世界大戦が終戦を迎え、高度経済成長期に差し掛かった頃にかけて、地方から都市への人口流出が急加速し始めたのだ。1960年の東京オリンピック開催、東海道新幹線の開通、高速道路の拡大、大阪万国博覧会の開催などに伴い地方の若年層や壮年層といった労働力を吸収していったのだ。そして、エネルギー転換が起こり、林業を経済の基盤としていた山村地域では、過疎地域ではなく、社会的空白地域と呼ばれるほどにまで、人々は生活の拠点を変えているのだ。
地域の衰退の原因として挙げられるのは、企業倒産・工場移転、中心商店街の衰退、限界集落の出現である。企業倒産・工場移転について。企業や工場は労働力を求めて都市やその近郊に多く立地するのが普遍化している。交通網の発達により、原材料の産地の工場が立地される原料指向型から大都市や市場に立地する市場志向型や安価な労働力が多く得られる場所に立地する労働力指向型へと変化していった。これらが不足している地方では企業や工場は倒産もしくは移転してしまうのだ。そうであるが故に雇用が少なくなり、地域に魅力を感じずに都市へ転出してしまうのだ。次に商店街のシャッターが降ろされていくことについて。地域における商店街という存在は、ただ単にモノを売り買いするだ けでなく、地域のコミュニティとしての役割を担っているのだ。そのような多面的な役割を担っている商店街がシャッターを降ろしていく原因は、国や地方自治体の失策である。1998年に施行された大規模小売店舗立地法が施行され、交通対策や廃棄対策、騒音対策の基準を満たした場合、出店を認めるのだ。その結果、多くの大規模小売店が進出している。そのため、地方圏の商店街は大きな負の影響を受け、シャッターを降ろさざるを得ない状況になっているのだ。また、多くの地方自治体は企業誘致をしようと政策を多く立てているが、同じような政策をしているだけにすぎないため、消耗戦をし合っているだけに過ぎない。しかし、国や地方自治体の責任ではない。商店街には、現代の住民の欲しているモノを揃えようとしていないのだ。変化しつつある消費性向を的確にとらえられていないことで、魅力を感じなくなり、郊外のショッピングセンターに顧客が流失してしまうの だ。最後に挙げられるのは、限界集落の出現である。限界集落とは、人口の50%が65歳以上の高齢者であり冠婚葬祭など社会的共同生活が困難になっている集落のことであるが、少子高齢化の影響を受け年々増加している。そのような地域では、子どもに満足な教育をさせられないことや仕事が限られることもあり、人口が減り過疎が進行してしまうのである。
しかし、対策をしていないわけではないのだ。全国各地の過疎化に悩む地域では、むらおこし事業が行われているのだ。その中で、一村一品運動について取り上げたいと思う。
一村一品運動とは、元大分県知事の平松守彦氏が提唱した、「地域の主体的な行動によって地域の特性を生かした産品を開発することにより地域のむらづくりの意欲と情熱をわきたたせ、活力に満ちた地域づくりを実現すようとするものであって、単なるモノづくりではない。」である。この言葉から分かるように、その地域に輝く産品があるだけでなく、それ以上に地域づくりのために努力をする人々が必要であるのだ。私が住んでいる岩手県の田野畑村においても、机浜番屋群という観光地があるが、そこに住む人々の協力を得てこその結果を残すことができたのだろう。このようにむらおこしに契機を与えるのだ。そして、あれもこれも地域再生に利用しようとせず、選び抜いたものを、集中的に生 かしていくことが大切である。それぞれの地域には、限られた行政資源しか存在しないのだから、その限られた資源を充分に生かさなければ、地域再生は不可能であるだろう。しかし、一村一品運動は、むらおこしに契機を与えることには長けているが、むらおこしを普遍化させ、多村一品化を進行させてしまったのだ。つまり、地域振興を遂げた地域をあれば、それ以上に過疎化を進行させている地域もあるのだ。
最後になるが、過疎化に歯止めを掛けるためには、住民と行政の力が必要なのだ。行政が地域再生の契機を作り、その契機に乗った住民が努力をし、産業を創り出していく。この流れがあってこその地域再生である。そして、最も忘れてはならないのは、そこに住む住民が楽しむことであろう。その地に住む住民の楽しそうな姿に惚れさせることがなにより人を呼び込むものだろう。そうして、人々は過疎地域と呼ばれる地に、戻り始めるだろう。

投稿: 弱者反撃 | 2014年1月28日 (火) 00時10分

「過疎」とは地域の人口が減ってしまうことによって、その地域で暮らしている人々の生活水準や生活機能の維持が難しくなってしまうことをいう。「過密」とはその反対で、地域の人口が増えてしまうことによって、生活していく上で困難や問題が生じてしまうことをいう。現在の日本において、過疎地域は多くあるが過密地域はそう多くはない。
過密状態にあると言い切れるのは東京や大阪といったように、いわゆる都会と呼ばれている地域のことだ。しかし東京や大阪全体が過密であるかと考えたらそうではなく、その中でも人口が特に集中している街や地域を過密状態にあるという。生活していくためには、食料品や衣服など必要なものはたくさんある。それらを揃えるためには買い物に出なければならない。近隣にショッピングセンターやスーパーなどがあれば困ることはないが、近隣にない場合は遠くまで足を延ばさなくてはならない。そうなると交通費がかかってしまうため、これらのことに不便を感じて発展している街に越す人が増えると、その地区の人口はどんどんと増加し、過密状態が生まれる。東京23区の場合、いろいろな区に大きなショッピングセンターがあったり商業施設があったりと人が集まる場所がたくさんある。区内の移動には、公共交通機関を使えば問題なくさまざまな区を行き来できる。発展している街に住んだ方が、買い物だけのためにわざわざ遠方から出ていかなくても良くなるし、買い物ついでに趣味や息抜きに適した場所にも足を運びやすくなるのだ。過密状態は良い状況をもたらすだけでなく、リスクも多い。例として災害が起こってしまった場合を考える。地震や火事が起こってしまったとして、相当数の人が一気に逃げることは不可能に近い。大勢が一気に動き出せば町は人で溢れ返ってしまうし、交通機関が麻痺して使えなくなってしまうだろう。そうなった場合を考える と、過密状態にある地域は大変危険である。緩和していくためにどうしていったらよいのかということに関しては、なかなか解決法を見出せないため難しい問題である。
過密と比較すると過疎地域は本当に数多くある。北海道の渡島・檜山地方には2市16町あるが、そのうちの14町は過疎地域であるとされている。過疎地域とされていないのは函館市、北斗市、七飯町、鹿部町である。函館市が道南で一番大きい街であるということや、最近になって北斗市が発展してきているということが考えられる。2市2町以外の14町は街自体が発展しているわけでも大きな街と隣接しているわけでもないため、先程述べたように買い物や移動に不便を求めて函館市や北斗市に越してしまうことで、その町の人口が減ってしまい過疎状態になってしまっている。過疎状態が悪化してしまう一方だと、その町の存在も危ぶまれてしまう。将来故郷がない、ということになってはいけないのではないだろうか。しかし過密と過疎には決定的な違いがある。それは、過密状態を緩和するための解決法を考えるのは難しいが、過疎状態を緩和するための解決法を考えるのは難しがることなくできることである。地域再生のヒントや地域おこしはたくさんの考えや見方が存在するように、どんな面からでも注目していくことが出来る。欠けていない 街に手を加えていくことよりも、欠けている街に手を加えていく方がやりがいも期待も持つことが出来るのではないだろうか。ショッピングセンターや商業施設だけが街の発展ではない。もちろん生活していくために必要なものはたくさんあるため、そのような施設があることにこしたことはない。しかし過疎地域であっても、その街で守っていかなければならないものや街を大切に守っていきたいという思いがあれば良い方向に向かうのではないだろうか。必ず良い方向に向かうとは言い切れないが、栄えている街はこのまま維持していくことを第一にし、伸びしろのある街に重点をおいて日本は活動していくべきだと考える。
日本には47の都道府県がありそれぞれにたくさんの市町村があるため、存在する街のひとつひとつに特徴がある。型にはまった地方自治の在り方を求めていくのではなく、その街に合ったまちづくりを進めていくことが今一番大切なことである。

投稿: 道産子魂 | 2014年1月28日 (火) 00時06分

過疎と過密から考察する地域問題


過疎と過密は、国の発展に必ず付きまとうテーマの一つといえる。というのも、歴史的にも都市の成長と衰退は必然であるからだ。都市には必ず、産業、政治、地域性などの様々な性格があり、その性格が世論の変化や天災などと相まって、成長と衰退が起きている。例えば夕張市のように石炭の発掘が全盛期だったときは過密化、炭鉱が枯れれば町の機能も収縮して過疎化していく。また、奈良や京都や鎌倉のように、首都となった街には都市機能が集中するため過密化が起きる。そして何らかの原因によってその機能を失えば都市機能の時の名残が観光地になる。このようなプロセスは、これまでの歴史の中でも数多く見られてきた。
都市化し過密することのメリットは、一言でいえば「とにかく便利になる」ということだ。今の東京のように、情報やビジネスが一気に集中していくのである。人の数が多いということはそれだけでインフラコストを下げ、あらゆるサービス提供がなされるようになる。マイナーなサイズのビジネスでも、都市に行けばある程度のチャンスが生まれてくるのだ。一局集中という構図は、律令時代からあらゆる物資が都市に集まってくるという点で、何も変わっていないことが読み取れる。しかし、過密の一番のメリットは、言うまでもなく貨幣経済との兼ね合いにあるだろう。先ほども述べたとおり、都市化し過密すればするほど、そこにはモノが沢山集まる。こういう場は、貨幣を用いる全ての産業にとって、これ以上ない環境なのである。もちろん、ビジネスチャンスが多ければ多いほど競争も激しくなり、結果的にドロップアウトも多い。さらに、過密化には交通渋滞や日照権、住宅不足など様々な裏の面も存在する。しかし、それでもなお過密化が止まらないというのは、それだけメリットが大きいという事でもあり、今の世界の大都市過密は、なるべくしてなっていると言わざるを得ない。
それではいったい、過疎化はどうだろうというと、この逆である。要するに「たいへん不便になる」のである。インフラのコストは高まり、サービスは少ない。貨幣経済が不活発のため、おもしろい事業や人間が少ない。過密のメリットを求めて人は田舎から都市へと集中するので、結果的に、田舎は都市に人手を供給するという構図をとらざるを得ないのである。しかし、この構図を呈したのは、決して最近の話ではない。かつての田舎では子供がたくさん生まれ、都市部への流出よりもその数が多かったこと、加えて、交通が未整備で、都市部に出て行きにくかった事も障壁となり、田舎は維持できていた、という背景があるのだろう。そこへ少子化も相まって、現在の過疎化を形成させてしまったのである。
ここまで過疎化と過密化について述べてきたが、どちらも現在の地域問題の観点から課題点を抱えているに変わりはない。しかし、政府がメスを入れてその状況を改善すべきは、過疎化の方であると私は考える。なぜなら、前述した通り、過疎化は地方の公共交通の崩壊、小学校や医療機関、商店街などの生活インフラの喪失を招くどころか、地域の互助機能、冠婚葬祭や消防団といった地域社会の機能を維持することさえ困難にしている。
ここで、私たちが住む街、函館市を引き合いに出してみることとしよう。実は函館市も上で前述した『一度首都となった町がその名残を残して観光地となった』プロセスを経た町なのである。かつて函館市は明治2年に開拓使出張所が置かれたことをきっかけに、商業や行政など様々な面で北海道の玄関口として機能していた。しかし、都市機能の中心が札幌に移り変わった事をきっかけに函館市の人口はどんどん減少していった。あるデータによれば、平成17年の国勢調査による4地域の総人口は、昭和35年の総人口と比較すると、約半分以下まで減っているという(函館市、2010、『函館市過疎地域自立促進市町村計画』、3頁から引用・一部改変)。また、町の生活インフラも、市民の生活圏からは随分と遠いところにある。最近函館市の石川町にオープンした『蔦屋書店』も、函館市内からのアクセスは乗り物移動が必須であると言っても良い。車で行くことが前提で郊外に立地する大型建造物は、運転のできない高齢者などはたどり着くことができないだろう。このように、過疎化している地域の都市計画が、その現状に合っていない場合(この場合は市民の高齢化)が多いのが現状だ。
ただ、過疎化が進行しその地域で人々の暮らしが不便になる一方、情報発信や運搬技術の発達により、その状況を打開する次世代的手法の開発も同時に進んでいる。ビジネスも場所に依存しないモデルが多く出てきているため、産業を再興させる余地もたくさんあるだろう。これを大学などの研究機関と連携し、どのように活かしていくかが、地方行政の今後の課題となっていく事だろう。

参考文献
・北海道ファンマガジン『人口推移:道内最大だった函館』、2009年3月13日
・函館市、2010年、『函館市過疎地域自立促進市町村計画』
・新藤宗幸・阿部斉著、2006年、東京大学出版会『概説 日本の地方自治』

投稿: 一撃必殺 | 2014年1月27日 (月) 22時46分

「過疎」「過密」から考える地方自治

 「過疎」とは地域の人口が急激かつ大幅に減少したために地域社会の機能が低下し、住民が一定の生活水準を維持することが困難になった状態である。「過密」とは、人口や都市機能が過剰に集まっている状態のことを言う。過疎と過密は日本の様々な場所で起こっている。そしてそれらは地域に深刻な問題をもたらしている。
 一般的に過密現象は首都などの大都市で起こりやすい。経済の中心となるオフィスが立ち並びその都市に人が集まることで、さらに交通機関や経済、物流が発展し、より人が集まる。過密の問題点の一つとして、自然災害発生時の都市機能の麻痺が広範囲に影響を及ぼすことが挙げられる。日本経済新聞では、3.11発生時に東京都心部に滞在していた多くの人が交通網の麻痺で帰宅困難に陥ったという記事を掲載している。東京都はコンビニエンスストアなどに水や水道水の提供を要請し、都民ホールなどを一時収容施設として開放した。(『日本経済新聞2011年3月12日』掲載)人が多いということは必要物資の把握の遅れや対応時の人数把握も難しくなると考えられる。大都市の機能麻痺は日本全体の機能の停滞につながるため重要な機能を分散させることが望ましいが、都市機能は人が多く集まる地域で発展する傾向にあるので分散して発展していくことは難しいと考える。
 一方過疎現象は、一般的に政令指定都市や県庁所在地から距離が離れており、かつ交通の便に劣る村落や離島などのへき地で起こりやすい。高度経済成長などの影響で大都市に人が流れたために人口が減少し、地域社会の機能が低下することでさらにその地域から人が離れていき、社会の機能も低下していく。過疎現象の結果起こる最も深刻な問題は、地域の高齢化であると考える。社会機能の低下に不便さを感じ、職や便利さを求めて都市に流れていくのは主に若い世代であるため、村には高齢者が残されていくのである。高齢社会では社会機能の低下の他にも様々な問題が起こる。まず初めに挙げられるのは、福祉や医療などのサービス水準の低下である。若い世代の減少により医療が人員不足になることや、都市にはいくつかある総合病院が地方では機能しないことが考えられる。高齢化により医療を必要としている人口は増加するが、医療サービスを提供する側の人口が減少するのである。病院までの距離やその人の健康状態などの問題で一人では病院に行けないという人がいても、バスの運営が一時間に一本がやっとであれば病院に行くことすら困難になる。そして、高齢者の増加により地方の税収が減少することや、家族が都市に移住した高齢者が孤立していくことで世帯同士の関わりが希薄になり地方の高齢者の細かな現状把握やそれに伴う福祉のニーズ把握を行うことが困難になることにより、福祉サービスの水準低下や福祉の整備不足が起こると考えられる。高齢化により顕著に見られる福祉の問題は、高齢者介護の人手不足である。介護施設やヘルパーの需要は増加する一方で肝心の施設運営者やヘルパーが足りず、福祉サービスを受けられず溢れてしまう人が出てしまう。
 このように過疎と過密は様々な問題をもたらし地域の課題となっている。しかし過疎問題では大都市へ流入することによる人口減少と機能都市の停滞、過密問題では発展した都市への人口流入とそれに伴う都市機能の発展がサイクルになって進んでいくため、この状態を抜けだすことは困難であると考えられる。さらに過密地域への人口流入に伴う過疎地域の人口減少は対になって起こるため、どちらかだけ問題を解決することはできないと考えられる。日本の大都市では、日本全体の経済や都市機能が中心となっている一方で食料自給率は20%以下と大幅に低下しており、地方が補っている。さらに地方では大都市で減少している森や川などの自然資源が豊富であるため、農林水産業の発展が見込まれる。このように対になって進行した過疎過密問題は、互いにその地域で足りなくなったものを補いながら日本全体として発展しているのが現在の日本の現状である。このことからこれからの地方は過疎過密を即座に解決するのではなく、どちらかがその機能を失わないよう維持、改善していくことが必要であると考える。過疎地域では若い世代の大都市への人口流入により維持、改善していくことが困難であるが、自治体が農林水産業の発展、介護サービスの充実などを図り今いる住民の満足度を上げてゆくことでこれからの大都市への人口流入を防ぐことができるのではないだろうか。そのためには、地域のより細やかな住民の現状把握とサービスの検討と、国による地方への的確な補助金という協力体制がなければならないと考える。過疎地域の機能を忘れないがしろにされることや、大都市の過密による都市機能の麻痺は日本全体の衰退につながると考える。

投稿: 巨大資本 | 2014年1月27日 (月) 22時43分

                    教育大生

 地方自治の役割は、権力を中央政府に集中させずに権力の濫用を防ぐという消極的なものと、それぞれの地域が自ら問題を解決するという積極的なものである。住民が積極的に問題解決にかかわるためには、まとめ役である地方政府が必要であり、地方政府は住民の意思を反映していく役割を持っている。住民は、リコールの制度やイニシアティブの制度などを利用できることから、地域住民は地域の政治で重要な要素であるとわかる。
 地方自治が成立するためには、自治体が何かの共同性をもつコミュニティの要素を含んでいなければならない。コミュニティは伝統的なコミュニティと近代的なコミュニティがある。伝統的なコミュニティは、その地域の伝統や習俗が受け継がれて地域の一体性を保障していた。また、地域住民が協力して農作業をすることなどを通して地域が維持されていた。このようなコミュニティでは、自然と集団の秩序が決まるため、秩序の制定や維持に特別な行為をする必要がなかった。伝統的なコミュニティで地方自治の役割はあまりなかったが、伝統で成り立っていた地域で、自然にできた一体性が弱まったときに補う役割があった。しかし、伝統的なコミュニティは第二次世界大戦後の都市化や工業化によって崩壊した。そして、次に表れてきたのが近代的なコミュニティである。
 しかし、主体的で自主的な個人を尊重する共同体である近代的なコミュニティの創造には大きな問題がある。それは、まだ完全に創造されていないことである。伝統的なコミュニティの崩壊後、近代的なコミュニティが創造されにくい背景には過疎と過密がある。過疎化は地方の数多くの地域が抱える問題で、都市化と工業化の進行が原因である。多くの人々が田舎から出て都会に仕事を求めていくことで、過疎地域が作りだされた。過疎化の影響として、若者が都会へ出て行ったために、その地域の人口の高齢化が進む。昔からの住民で構成された地域は住民同士のつながりが強いものかもしれない。しかし高齢化が進むと、地域の防災活動や除雪作業、農作業など高齢者では危険で肉体的にもつらい作業が困難になる。また、過疎化と高齢化に深く関係していることだが、一人暮らしの高齢者が多く孤独死につながる可能性がある。地方では、仕事がなく学校も少なく、若者や子どもが都会へ行くのは、生活の便利さを考えると仕方のないことかもしれない。しかしこのままでは、地方で暮らす人々の負担が大きくなる。若者が故郷へ戻って、地方が活性化することが一番の理想だと考えるが、今すぐには困難であるため、除雪作業や農作業などの必要な期間にボランティアを派遣することや一人暮らし世帯への定期的な訪問が必要であると考える。次に過密化で、原因は情報化と国際化である。首都圏が経済や工業、観光などの様々な分野の中心となり、すべてが首都圏に集中した。その結果、首都圏の地価が高騰し、多くの人々は郊外に住むようになる。付近の県から東京に通勤してくる人がほとんどだと考える。昼間は東京で夜や休日しか自分の住む地域にいない、となると家がある地域で過ごす時間が少なくなり地域の活動にもほとんど参加できない。よってコミュニティとして機能することが難しい。コミュニティとしての成立していなければ、その地域で暮らす人々のつながりも希薄で、世間話や相談などがなく、子育てや教育では不安やストレスが溜まると考える。だから、行政が子育て支援に力を入れること、学校と家庭の結びつきを強くすることなどが必要であると考える。
 過疎と過密が原因のひとつとなり、コミュニティが不在してしまうと、住民の定住意識が育たないためにコミュニティ成立や住民自治が困難である、教育や保健や防災が地域で対処できないという影響がある。私が考えたのは教育や福祉についてである。首都圏では保育園の待機児童の問題、地方では少子化の影響が顕著に表れている。また、高齢者の孤独死防止や児童虐待防止も地域で活発に行えば成果が出るものだと考える。教育や福祉において、地域の影響はとても大きいものだと考えるため、コミュニティの成立は必要であると考える。コミュニティは住民の自主的主体的な参加で成立するもので、参加のためには住民の幅広い関心を満たすような環境や目標がしっかりとしていることが重要だと考える。だから、最初は行政の力を借りながらでも、コミュニケーションの場を多く設けて、徐々に住民自身でよりよいコミュニティになるように活動していくことが大切だと考える。
〈参考文献〉
・新藤宗幸、阿部斉(2011)「概説 日本の地方自治」東京大学出版
・新藤宗幸(2013)「日曜日の自治体学」東京堂出版

投稿: 教育大生 | 2014年1月27日 (月) 19時27分

近年、過密・過疎化が深刻になってきている。北海道においても札幌市が突出した人口を抱え、その他のほとんどの市町村では過疎状態となっている。過密については日本の3大都市圏で顕著に表れている。また、過密・過疎問題は日本にとどまらず世界中で起こっている問題だ。そこで、過密・過疎の要因と及ぼす影響を考えていく。
最初に過密化する要因について考えていく。まず一つとして官庁などの施設があることにより、利便性を求め、その周りにオフィスが立ち並ぶためである。人が都市に定住するためには、そこに仕事があることが絶対条件である。そのため、ビルが立ち並ぶようなオフィス街の周りでは、住宅街が形成されやすい。また、単純にインフラが整備されていて、住みやすい環境にあることも要因のひとつにあげられるだろう。公共施設や交通機関が充実していれば、安心して生活することができるだろうし、遠くにわざわざ出かける必要がなくなるので負担が少ない。しかし、インフラ整備は人口が多くなった結果として行われたことであるかもしれない。人口が増えればインフラ整備に対する要求が高まるし、実際に税金収入が増えるため、インフラ整備などにお金を投資しやすいからである。ところで、なぜ過密という現象は問題視されているのか、なぜ過密化が好ましくないのだろうか。その答えとして考えられるのは、環境への負担が大きくなること、交通渋滞が起きやすいこと、犯罪・失業が増加することだ。環境への負担とは具体的にいうと、大気汚染や水質汚染である。また、世界的に見ると、住宅が足りていないことにより、スラム街が形成されることもある。日本では、交通渋滞など日常的に起きているわけではないが、他の国に目を配るとほぼ毎日渋滞しているようなところも見受けられる。この他にも過密によって生じる問題が大小様々あるだろう。
次は過疎について同様に考えていく。過疎の要因のひとつは労働者が仕事を求めて都市に移動したことだ。仕事がなければ、仕事がある地域へ移動することは必然である。また、過疎化は農業地帯ばかりで起きているわけではない。例を出すと、昔は炭鉱で栄えた夕張市は産業が衰退したことにより、多くの人が仕事を求めて他の都市へ流出していった。ある産業が栄えていて多くの労働者を抱えていても、その産業が衰退すれば職を失うことにつながる。そうすれば仕事を求めて移動するのは当たり前である。近年では少子高齢化が原因になっていることがよくある。その影響で学校が廃校になり、子どもが町を出ていくことも少なくない。過疎化は一度進行してしまうと、そのまま深刻化していくことも多いのが現状だ。過疎化することによって招かれることは税収が減るため、町のサービスが悪くなり、活性化させることが難しくなる。また、産業が衰退しやすく、商店街がシャッター街になるケースが非常に多い。また、人口が極端に少なくなると医者がいなくなることもあり、医療サービスを維持することが深刻な問題にもなっている。他にも路線バスが廃止になるなどして、結果的に地域としてのコミュニティが機能しなくなり、限界集落になることもある。限界集落になると、経済的にも社会的にもコミュニティを維持できなくなり、社会生活が困難になり、そうなると町村としての存続さえ難しくなる。
これらの過疎と過密の現状を踏まえて、地方自治体はこの解決に努めなければならないが、正直解決することは難しい。過疎状態のほとんどの地域は人口が高齢化していて、生産年齢人口が少ないことが多い。このままでは少子高齢化が進む一方で、過疎化を克服することはできない。また、財政再建団体になっているなど、厳しい状態に置かれている地方自治体も少なくない。これからの地方自治のあり方として、過疎化を受け入れたうえでのまちづくりが必要になってくるのではないだろうか。例えば、過疎化地域では少子高齢化が著しいことが多いので、高齢者が住みやすいまちづくりをしていくこと。廃校になった学校を再利用して、高齢者のための施設を作ったりするなど、一から新しいもの作るのではなく、空きになっている施設を再利用していくのがいいだろう。これは一例だが、過疎化対策ばかりに尽力するより、現状を踏まえたまちづくりをしていくことが、過疎化地域の住民にとっては良いのではないだろうか。

投稿: 精神一到 | 2014年1月26日 (日) 13時16分

 現在、過疎・過密が問題となっているが、その原因とはなんなのだろうか。まず、過疎と過密の定義について整理したい。過密とは、大都市に人口や都市機能が過剰に集まる現象である。過密に対して、過疎の定義とは、人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態であり、地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することである。
日本では、1960年代の高度経済成長期の急速な工業化に伴って都会へ、特に太平洋ベルト地帯への労働力としての人口移動が起こり工業基盤を持たない地域は過疎化みられるようになった。その後、第三次産業中心へと移行しても、都市部への人口移動は続いた。また、過疎地域の市町村が高速道路などの設置を求めたが、「利便性の向上により、都市部への人口流出に拍車がかかる」というストロー効果も一原因である。そしてバブル景気の崩壊により、景気回復が遅れ、人々は都市部へ人口移動し、過疎地域は拡大していった。とくに農林業、鉱業、零細漁業に依存していた地域はその傾向が顕著であった。また、単純に都市部は路線バスや鉄道などの交通面や病院や学校などの公共施設のインフラの整備が進んでいる。そのために暮らしやすさや労働環境の充実を求めた移住が増えているのも原因の一つだろう。文化の面でも、秋葉原のように電気製品や漫画といった文化的な面で発達した地区もあり、住んでいて飽きないだろう。娯楽商業施設といわれるところも多いため楽しさを求めて都市部に移住する人は少なくないだろう。また、過疎・過密と同様に近年、少子高齢化も問題になっている。
主な原因は明治以降続く中央集権政策、政治・経済・文化が都市部で集中的に発展し、首都偏重の発展が続いたことからの都市部への人口移動と、少子高齢化などにより地域社会で生産機能が低下したことにある。
その結果、過密地域である都市部や首都圏に人口や首都機能が集中し、過疎地域では、人口が都市部・首都圏に流れ、労働力の主軸となるだろう若年労働者の数は減少していく。そうして、過疎地域では、少子高齢化がますます加速し、共に都市部と地方との経済格差はますます広がっていくだろう。さらに、過疎の進んだ地域による市町村合併により、そこを故郷のとしている人達のルーツが消えてしまうのはとても悲しいことである。
このような過疎と過密の問題をどのように解消していくべきであろう。また、そういった問題に対応する地方自治のあり方とはどのようなものであるべきだろうか。
過密地域では、インフラの整備が進み、また娯楽施設もおおく、それほど魅力的な街であると言えるだろう。過疎の地域では、インフラの整備も都市部ほどは進んでおらず、娯楽施設も少ない。そのために、若者にとってはつまらないと言われても仕方がないかもしれない。しかし、決して魅力がないわけではない。都市部には無い、自然や、土地が沢山ある。少し前にあるテレビ番組で、ギャル達が、畑作業をしているという話を聞いたことがある。これはノギャルプロジェクトと言って、ギャル達が農業をすることで若者たちに農業の魅力を伝えるという目的で行われているものである。このようなプロジェクトを行うことで農業に対するイメージを少しでも和らげることは出来るだろう。このように、地域から田舎=ダサいといったイメージから一新させることを始めたほうがいいかもしれない。ただこのようなプロジェクトをする際には、まず、それをやってくれる人材を探さなければならない。さらに過疎が進んでいる理由にはそれ以外にも経済的な格差から生まれる経済力の無さを補わなければならない。そのため、地方の行政が、すべきことは、どうやってそのようなプロジェクトをするための費用を作るかということである。あるドラマで、ある土地を持っている企業と提携を結んで、その土地を使うという場面があった。このように企業や、住民と手を取り合い、資金力を補うことは可能だろう。しかし、これらのプロジェクトによる結果、一時的に人が沢山来たとしても、その状態を持続して過疎を解決することが出来るだろうか。新しい人たちが来たら、今いる人達はむしろ故郷への思いを気にせずにその地域から出やすくなってしまうのではないか。もし、結果的に人が増えたとしても、さらにその市町村を活性化させるには、どうしたらよいか。若者たちを定着させるためには、まず、雇用先を増やすことが大事であろう。そして、周りの人達に伝えた魅力を、地元の人も再確認するべきだと考える。私が、考える過疎・過密地域の地方自治のあり方は、まず、若者を引き寄せる魅力を伝え、そのための資金力を補うための努力をし、さらに地元の人達を定着させ、さらに魅力を伝えるために、子どものころから魅力を教育の一環として取り入れることである。

投稿: 津軽半島 | 2014年1月24日 (金) 00時12分

 過疎化や過密化によって様々な問題が生じる。その中でも生活していくうえで、困難とされることについて考えていきたい。
 まず、過疎化によって買い物をする場所がどんどん減っていくうえに、採算が合わないことでバスの本数も少なくなっていく。病院まで行くのにバスを使わなければいけない高齢者が、バスの本数が少ないことによって行きたい時に病院にさえ行けない状態になっている。
 一方、過密化により物価の上昇や、求人募集を上回る人たちが職を探しているため、職につけない人たちがたくさんいる。さらに、公共交通機関を使う人がたくさんいるため、バスや地下鉄、電車などいろいろな乗り物があるにもかかわらず、通勤・通学時などとても使いづらいものとなってしまう。
 このように、それぞれ問題点がある。しかし、日本国憲法により、人は皆平等であるとしているが、これは平等であるといえるのだろうか。
 自分の家を建てるとする。もし、過疎化している地域と過密化している地域に全く同じ家を建てたときに、全く同じ値段で家が建てられるわけではない。土地の値段も違い、建てるためにいろんな業者にお願いするが、その値段もその地域によって異なる。
 また、人の多い街ではどこかに出かけたいと思った時にいろいろな公共交通機関を使い、買い物に行ったり、出掛けたりすることができる。しかし、人の少ない街では、買い物に行きたくても、その時間に公共交通機関が動いていないことがほとんどである。今では、買い物難民と呼ばれ、新聞やニュースにも取り上げられるようになっている。
 以上のような問題点を抱えながら、地方自治体はどういうことをしているのだろうか。
 買い物難民と呼ばれる人たちがいる地域では、地方自治体がバスを出していたりしていたり、移動販売をしに来てもらえるよう交渉をしたりしている所もあるようだ。これは、地域住民たちが自ら起こしてしまったわけではなく、もともと人の少ない地域では、小学校・中学校はあっても高校や大学、専門学校等がないため、子どもたちがどんどんいなくなっていき、戻ってこない人が多いため、高齢者が多い地域であるといったことが多いようだ。高齢者が多いからこそ、病院や買い物に行くための手段がないことによって生きていくのが困難になってしまう。このような地域の自治体では若い人たちの力により街を立て直していかなければならないので、若い人を受け入れる体制を整えていくべきである。
 また、過密地域では職につきたいという意欲のある人はたくさんいるが、働き口がないために、ホームレスやニートとして生活することを余儀なくされている人たちがいる。働き口さえあれば普通に生活することができるのに、過密地域にいることによってそのような生活をしている。その生活を支えるために、ホームレスの方にゴミ拾いというボランティアではなく仕事をお願いしている地域もあるようだ。他にも、支援のために地方自治体が動いているという話はよく聞く。
 よって、現在の地方自治体の存在は、どの地域住民にとっても必要不可欠である。地域住民がより住みやすい地域を作るかについて一番に考えている存在であり、それを実行に移すことができるのが地方自治体ではないかと考える。地域住民だけで、こうしたい、ああしたい、と考えてはみるものの実際行動に移すということはなかなか難しいことであり、そこで助けてくれるのが地方自治体であるのではないか。少子高齢化に伴って、高齢者ばかりが残ってしまった街や、人口密度が高すぎて人で溢れかえっている街。世界的に見ると、日本は小さな国として見られているが、その小さい国の中でもたくさんのことが日々起こっている。
 これからの地方自治体のあり方としては、地域住民の意見を取り入れつつも地域の活性化するため、先頭に立ち、住民を良い方向に引っ張っていく人たちであってほしい。そのためには地域の特徴やお金の問題などいろいろな問題があるが、それを解決するため住民に問いかけたり、時にはいろいろなところから協力してもらったり、たくさんの労力をかけて、地域を改善していくべきではないだろうか。よって、地方自治体は地域住民や近隣の地域との連携をとりつつ、地域を助ける存在であるべきだと考える。

投稿: 炭火焼肉 | 2014年1月21日 (火) 12時25分

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