原理主義的哲学と政治的行為――国策という麗しき世界像
20140115 原理主義的哲学と政治的行為――国策という麗しき世界像
1. 行為と結果
ある行為 B は、時間的経過後、結果 C1 をもたらす。しかし、それだけにとどまらない。別の観点からすれば、C2、C3、C4、・・・・Cn をもたらす。人間の認識は、C2、C3、C4、・・・・Cn に至ることはない。すべての結果を考慮して、行為Bが決断されるわけではない。
問題は、この点を認識するか、否かである。この点を看過すると、B1 だけに満足することになる。この考えによれば、BがC1 という結果しかもたらさない。この思想は、マルクヴァルトによる原理主義的哲学になる。また、養老孟司によれば、「バカの壁」を形成する。マルクヴァルトによれば、このような思想が形成されるのは、実験科学においてだけであり、精神科学には及ばない。精神科学あるいは歴史において偶然性あるいは条件依存性が看過されると、原理主義的哲学が生じる。
2. 行為における前提
ある行為 B が決断される。しかし、その行為は真空状態で構想されたのではない。その行為には前提がある。問題は、そもそもそのような行為がなぜ形成されたのかである。通常は、その前提はA1であると認識される。しかし、本来的に言えば、その前提は、A2、A3、A4、・・・・An である。A2、A3、A4、・・・・An も、人間的理性の範疇を超えている。これも認識できない。しかし、認識できないからと言って、その前提がなくなるわけではない。あるいは意図的にそれが隠蔽されることもある。この諸前提のうちがある特定の前提が隠蔽されたとき、その行為は原理主義的哲学に基づいている。
3. 原理主義的哲学における行為
行為 B がA1 の前提のもとで構想され、 C1 という結果しかもたらさないとすれば、A1 の前提のもとで構想された行為は、A1からC1への必然的連鎖における環にすぎない。世界と歴史的世界は、必然的法則性のうちにある。人間的理性はそれを認識するだけである。あるいは、その連関が理解できないことは、人間的理性の程度が低いことを意味しているにすぎない。
もし、そうであれば、世界と歴史的世界は単純なものになる。政治家あるいは高級官僚は、このような原理主義哲学に依拠する。明晰な頭脳によって構想された世界像が形成される。その世界像は国策と呼ばれる。
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