アメリカにおける豪邸と日本における長屋(ナガヤ)の居住体験―――高級官僚の原体験と公共交通の衰退との関連性
20140124 アメリカにおける豪邸と日本における長屋の居住体験―――高級官僚の原体験と公共交通の衰退
戦後、多くの高級官僚はアメリカ合衆国に留学してきた。戦前の高級官僚がアメリカ合衆国だけではなく、ドイツ、イギリス、フランスに留学してきたことと対照的である。旧西独の首都ボン、あるいはフランスの首都パリへの留学は、語学上のハンディもありほとんど推奨されていなかった。少なく見積もっても、課長より上級の官僚の半数以上は、アメリカ合衆国への留学体験があるはずである。彼らは、20歳代後半、30歳代前半においてアメリカに留学する。もちろん、自費ではない。官費による留学である。
彼らは私費留学生とは異なり、学生寮に住むことはない。日本流に表現すれば、3DKの部屋に6-7人で住むことはないはない。留学場所にもよるが、多くの場合、瀟洒な一戸建てがあてがわれる。夫婦ともども高級官僚であれば、プール付きの豪邸も可能である。アメリカでは、平均的な住居である。自家用車で数10分運転すれば、郊外において瀟洒な住居は数多くある。
しかし、彼らも公務員である。学位を取得して、数年後帰国すれば、ほとんど改築されていない古びた官舎に居住せざるをえない。公務員官舎に対する批判は近年盛んであるが、それは近隣の民間住宅との比較から生じるのであり、アメリカ、オーストラリアの住宅事情を勘案すれば、大差ない。林家彦六師匠の名言を借りれば、官舎もまた「長屋(ナガヤ)」でしかない。高級官僚も「長屋(ナガヤ)の皆さん」でしかない。
長屋に居住せざるをえない高級官僚という概念は、矛盾に満ちている。この矛盾は強烈な原体験になったはずである。この原体験に基づいて、多くの地方都市がアメリカと似た街づくりを実施した。留学時代の郷愁とともに。道路事情が改善され、自動車道だけではなく、多くの幹線が片側2、3車線によって建設された。地方都市において路面電車は見る影もない。また、JRによる通勤も、地方都市ではまれである。バスですら、ほとんど福祉バスの様相を呈している。とりわけ、北海道を例にとれば、札幌圏を除いて公共交通によって通勤している国家公務員は少数派である。
かつて地方都市出身の学生に、公共交通の使用を促進する課題を与えたことがあった。公共交通、バス、JR等を如何に活性化すべきであるか、という課題であった。そのとき、多くの学生は下を向いたままであった。そもそもバス路線が、ほとんどなかったからである。時間を気にしない高齢者と高校生しか、バスを利用しない。バスは、数分単位で動いているビジネスマンが恒常的に利用する手段ではない。
地方都市において中心街が衰退したことと対照的に、郊外には瀟洒な住宅が立ち並んだ。そこでは若き高級官僚が居住してもおかしくない住居が立ち並んでいる。彼らの原風景が日本中を席巻した。道路が栄え、街滅ぶ。もはや公共交通は、守るべき文化の一種かもしれない。
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