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討論:政治思想史

「世界とは何か」という問題に関する討論会を主催する。なお、これは、政治学説の学習だけではなく、「自己とは何か」という問題とも関連している。自由な討論をお願いする。なお、締切は、1月29日である。字数は、2000字くらいである。コメント欄に貼り付けて下さい。

1月30日をもって、締切ました。討論ありがとうございます。

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討論会  地方自治

地方自治において、「過密と過疎」の問題が重要である。この意味に関する討論会を主催する。締切は、1月28日である。この記事のコメント欄にお願いする。

本日1月30日をもって、終了しました。討論ありがとうございます。

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アメリカにおける豪邸と日本における長屋(ナガヤ)の居住体験―――高級官僚の原体験と公共交通の衰退との関連性

20140124 アメリカにおける豪邸と日本における長屋の居住体験―――高級官僚の原体験と公共交通の衰退

 

 戦後、多くの高級官僚はアメリカ合衆国に留学してきた。戦前の高級官僚がアメリカ合衆国だけではなく、ドイツ、イギリス、フランスに留学してきたことと対照的である。旧西独の首都ボン、あるいはフランスの首都パリへの留学は、語学上のハンディもありほとんど推奨されていなかった。少なく見積もっても、課長より上級の官僚の半数以上は、アメリカ合衆国への留学体験があるはずである。彼らは、20歳代後半、30歳代前半においてアメリカに留学する。もちろん、自費ではない。官費による留学である。

 彼らは私費留学生とは異なり、学生寮に住むことはない。日本流に表現すれば、3DKの部屋に6-7人で住むことはないはない。留学場所にもよるが、多くの場合、瀟洒な一戸建てがあてがわれる。夫婦ともども高級官僚であれば、プール付きの豪邸も可能である。アメリカでは、平均的な住居である。自家用車で数10分運転すれば、郊外において瀟洒な住居は数多くある。

 しかし、彼らも公務員である。学位を取得して、数年後帰国すれば、ほとんど改築されていない古びた官舎に居住せざるをえない。公務員官舎に対する批判は近年盛んであるが、それは近隣の民間住宅との比較から生じるのであり、アメリカ、オーストラリアの住宅事情を勘案すれば、大差ない。林家彦六師匠の名言を借りれば、官舎もまた「長屋(ナガヤ)」でしかない。高級官僚も「長屋(ナガヤ)の皆さん」でしかない。

 長屋に居住せざるをえない高級官僚という概念は、矛盾に満ちている。この矛盾は強烈な原体験になったはずである。この原体験に基づいて、多くの地方都市がアメリカと似た街づくりを実施した。留学時代の郷愁とともに。道路事情が改善され、自動車道だけではなく、多くの幹線が片側2、3車線によって建設された。地方都市において路面電車は見る影もない。また、JRによる通勤も、地方都市ではまれである。バスですら、ほとんど福祉バスの様相を呈している。とりわけ、北海道を例にとれば、札幌圏を除いて公共交通によって通勤している国家公務員は少数派である。

 かつて地方都市出身の学生に、公共交通の使用を促進する課題を与えたことがあった。公共交通、バス、JR等を如何に活性化すべきであるか、という課題であった。そのとき、多くの学生は下を向いたままであった。そもそもバス路線が、ほとんどなかったからである。時間を気にしない高齢者と高校生しか、バスを利用しない。バスは、数分単位で動いているビジネスマンが恒常的に利用する手段ではない。

 地方都市において中心街が衰退したことと対照的に、郊外には瀟洒な住宅が立ち並んだ。そこでは若き高級官僚が居住してもおかしくない住居が立ち並んでいる。彼らの原風景が日本中を席巻した。道路が栄え、街滅ぶ。もはや公共交通は、守るべき文化の一種かもしれない。

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隠された意図――国策

4. 国策の隠蔽――別の前提A2 あるいは別の結果C2の広報

 国策は、その明晰性を国民に与えることはない。もちろん、その隠された意図を明示することもある。しかし、それは稀である。ある国策は、その行為によって国民あるいは地域住民の犠牲をもたらすからだ。ここで、国民あるいは地域住民という概念を分離したことは、大きな意味を持つ。前者の利益は、後者の不利益である場合が多い。また、支配階級の利益C2、高級官僚の利益C3を隠蔽し、別の利益C4 を広報することもある。たとえば、消費税増税は、輸出企業にとって濡れ手の粟である。輸出製品に対する消費税は、輸出企業に対して還付される。必ずしも、国民すべてに公平に負担を強いるわけでもない。消費税増税は、輸出企業にとってまさに天恵である。

 

5. 国策――地方都市の併合――平成の大合併

 平成18年の平成の大合併によって、多くの町村が消滅した。「1999年(平成11年)3月末に3,232あった市町村の数は、2006年(平成18年)4月には1,820にまで減少した」。(「日本の市町村の廃置分合」『ウィキペディア』20131212閲覧)

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B8%82%E7%94%BA%E6%9D%91%E3%81%AE%E5%BB%83%E7%BD%AE%E5%88%86%E5%90%88)

この市町村合併によって、多くの町村が周辺の都市へと合併された。明治以来の伝統を持つ村、たとえば赤城村も地理上から消滅した。この村において過疎化が進展することは、不可避であろう。小さき地域は、大きな都市へと吸収される。この地域は過疎化を加速させる。それはほとんど社会問題化することはない。少なくとも全国水準の周辺を中心に統合することによって、効率的な行政が可能になる。効率性が向上することによって、少数者の存在自体が抹消されるのかもしれない。

 

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書類至上主義という病理――下部組織による書類改竄に関する政治学的考察

2014011720131209の改稿) 書類至上主義という病理――下部組織による書類改竄に関する政治学的考察

官僚機構において、しばしば下部組織は上部組織に上げる書類を改竄する。第一に、この書類改竄の目的は、義務を持っている労働者が責任を逃れることにある。現実態とは異なる事実を記載することによって、下部組織は降格、解雇さらに刑事訴追等から逃れることができる。労働者の現在の地位と賃金は、責任を安泰である。

第二に、現状維持という安泰感は、それ以上の安楽をもたらす。それは、書類至上主義と言われる病理と関連している。この用語は私の造語である。現実における危機を現実態においてではなく、書類の上で解消する。当然のことながら、現実態において危機は残存している。しかし、書類を作成する下部組織は、それによって自己満足に陥る。危機は去ったと。上部組織もそれについて気が付いている。気が付かない上部組織は馬鹿である。しかし、気が付いていて、それを黙過する上部組織は、なお馬鹿である。いずれにしろ、上部組織の暗黙の了解のもとで、下部組織は書類を改竄する。

第三に、書類を改竄することは、現状維持を目的にしている。現状が過去と同一の状態にあるという虚偽の報告書を偽造する。この病理は、官僚化した組織に特有なものである。組織を活性化するような積極的姿勢は評価されない。むしろ、それは疎まれる。現状の危機を報告することによって、下部組織が新たな仕事を引き受けることになる。つまり、「負担が増える」。官僚化した組織においてこの言葉は、水戸の御老公の印籠に相当する。書類上が現状の危機を表現していれば、下部組織の仕事が今後増えることは明白である。それを回避するために、短絡的に書類を改竄する。書類的総合性があれば、仕事は増えないからである。現状が書類の上で過去と同一であれば、問題ないとされる。前例主義あるいは現状維持志向が、官僚組織の通弊である。

この書類至上主義は、旧ソ連末期における書類上の食糧の確保と現実態における食糧危機に典型的に妥当している。毎日のように、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長のもとに資料が下部組織、各連邦共和国から上がってくる。それによれば、旧ソ連では十分すぎる食糧があった。輸出も可能であった。しかし、街の食料品店では、長蛇の列が食料を求めて形成されていた。食糧の緊急輸入が常態化していた。旧ソ連住民には、十分な食料が供給されていなかった。食糧危機が蔓延していた。ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、書類を見る気力を喪失したはずである。書類上、ソ連は安泰であった。しかし、現実態において前世紀末にソビエト連邦共和国自体、そしてソ連共産党が崩壊した。JR北海道の場合には、20119月に中島尚俊社長が、20141月には坂本真一相談役(元社長)が自殺している。経営者が死をもってその責任を果たすことになった。官僚集団あるいは官僚化した組織は、この病理に多かれ少なかれ侵されている。その危機を回避できる集団的健全性が求められている。

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原理主義的哲学と政治的行為――国策という麗しき世界像

20140115 原理主義的哲学と政治的行為――国策という麗しき世界像

 

1. 行為と結果

ある行為 B は、時間的経過後、結果 C1 をもたらす。しかし、それだけにとどまらない。別の観点からすれば、C2C3C4、・・・・Cn をもたらす。人間の認識は、C2C3C4、・・・・Cn に至ることはない。すべての結果を考慮して、行為Bが決断されるわけではない。

問題は、この点を認識するか、否かである。この点を看過すると、B だけに満足することになる。この考えによれば、BC という結果しかもたらさない。この思想は、マルクヴァルトによる原理主義的哲学になる。また、養老孟司によれば、「バカの壁」を形成する。マルクヴァルトによれば、このような思想が形成されるのは、実験科学においてだけであり、精神科学には及ばない。精神科学あるいは歴史において偶然性あるいは条件依存性が看過されると、原理主義的哲学が生じる。

 

2. 行為における前提

ある行為 B が決断される。しかし、その行為は真空状態で構想されたのではない。その行為には前提がある。問題は、そもそもそのような行為がなぜ形成されたのかである。通常は、その前提はAであると認識される。しかし、本来的に言えば、その前提は、A2A3A4、・・・・An である。A2A3A4、・・・・An も、人間的理性の範疇を超えている。これも認識できない。しかし、認識できないからと言って、その前提がなくなるわけではない。あるいは意図的にそれが隠蔽されることもある。この諸前提のうちがある特定の前提が隠蔽されたとき、その行為は原理主義的哲学に基づいている。

 

3. 原理主義的哲学における行為

 行為 B がA の前提のもとで構想され、 C1 という結果しかもたらさないとすれば、A の前提のもとで構想された行為は、AからC1への必然的連鎖における環にすぎない。世界と歴史的世界は、必然的法則性のうちにある。人間的理性はそれを認識するだけである。あるいは、その連関が理解できないことは、人間的理性の程度が低いことを意味しているにすぎない。

 もし、そうであれば、世界と歴史的世界は単純なものになる。政治家あるいは高級官僚は、このような原理主義哲学に依拠する。明晰な頭脳によって構想された世界像が形成される。その世界像は国策と呼ばれる。

 

 

 

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