真宗大谷派函館別院における本殿の開放――神社仏閣の本殿の開放と人間精神
20130814 真宗大谷派函館別院における本殿の開放――神社仏閣の本殿の開放と人間精神
真宗大谷派によって運営されている御寺に参拝してきた。御盆だからである。しかし、多くの寺はその本堂を開放していない。一般人は参拝すらできない。骨董的価値を有する仏像等が多く配置されているからだ。ここ函館でも本殿を開放している神社仏閣は少ない。
真宗大谷派函館別院は、北海道でも有数の歴史を持っている。おそらく、仏像、そして欄間の装飾品等の価値も重要文化剤級のものが揃っているはずである。今日の治安状況を勘案すれば、本殿を見ず知らずの人に開放することは、危険である。流行りのリスク管理論からすれば、論外であろう。
昼間の少し暑い時間帯であったが、誰もいなかった。本殿で仏像としばし対峙していると、人間の卑小性と死んだ人間のことが脳裏を横切った。本殿では、風が吹き抜け、俗世界の垢を吹き飛ばしてくれるようであった。清涼な精神が甦るような気がした。
真宗大谷派函館別院は、この一人の人間の精神を救済した。真宗大谷派は内紛が数年前まで各種マスメディアに取り上げられていた。しかし、2007年3月18日の本ブログ(「鬼は内、福は内」)でも紹介したように、真宗大谷派は特異な存在として、宗教界において確固たる地位を築いている。宗教論に関して素人でも、その一端を認識できる。本殿の開放もまたその一つであろう。
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