真宗大谷派函館別院における本殿の開放――専門家と素人
20130819 真宗大谷派函館別院における本殿の開放――専門家と素人
先日のブログにおいて、真宗大谷派函館別院において本殿がお盆に開放されていることを記述した。昨日、別院事務所において確かめたところ、本殿はお盆だけではなく、ほぼ一年中開放されているとのことである。多くの神社仏閣が本殿を施錠していることと対照的である。あるいは開放しているが、法外な拝観料金を徴収している神社仏閣も多い。宗教の本質的役割、つまり人間精神に平安をもたらすためには、少なくとも寺院が開放されていなければならない。死者も含めた人間精神の存在形式に関与することこそが、宗教の存立理由のひとつである。
もちろん、昨今の治安事情を鑑みて、防犯ビデオが設置されているとのことである。これは致し方ないであろう。本殿には、貴重な文化財があるからである。仏具等が骨董市場において売買されている実情によるものと推定される。
このような開放は宗教的意識の高さを表現している。 真宗大谷派における僧侶、そして浄土真宗自体の宗教的意識の高さは宗教学者において衆目の一致するところであろう。専門家における本寺院の価値は言うまでもない。しかし、それが素人にも認識されている。素人の認識は専門家に較べれば、著しく低い。にもかかわらず、その一端が素人にも認識されている。それが本物であることは、ほぼ間違いないであろう。寺院らしい寺院がそこにある。寺院の開放ということは、数十年前には当然のことであった。小さな村の神社仏閣の本堂、本殿も開放されていた。その当然性が後期近代においてすたれている。同様に、芸人らしい芸人、大学教授らしい大学教授が少なくなって久しい。以て自戒とすべきであろう。
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