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全文 「自民圧勝 ねじれ解消」という新聞各社の一面の見出し」

これまで、分割されていた論稿全文をここに掲載する

 

「自民圧勝 ねじれ解消」という新聞各社の一面の見出し

――話し言葉を書き言葉に挿入すること」

 

 20130722  田村伊知朗

 

自由民主党が、2013721日における23回参議院議員選挙で圧勝した。翌日の新聞はほぼ同様な一面を飾った。もちろん、用語法には若干の相違があるが(「自公過半数 ねじれ解消」(『読売新聞』)、「自公圧勝、衆参過半数」(『朝日新聞』))、そのいずれもが、選挙結果を同一の概念で表現している。『毎日新聞』と『北海道新聞』においては、ほぼ同一の言語が表象されているという域を超えている。全く同じ言葉、「自民圧勝 ねじれ解消」という言葉が一面の見出しになっている。しかも、同一のレイアウトで。あたかも、一方の新聞が他方を「複写・貼り付け(コピペ)」をしたかのように。学生のレポートであれば、同一の見出しをつけることは、禁じ手である。コピペされたレポートは、レポートの価値すらない。

このような事態から、以下のことが推察される。新聞各社の見解によれば、衆参両院間の「ねじれ」の解消が本選挙の争点の一つであった。いわば、法案を成立させるための方法論が争点の一つになっていた。衆参両院の「ねじれ解消」は、国会運営の方法をめぐるものであり、本来の争点ではない。国民生活そして国家の存立に係わる重要な論争点が、他の小さい論点から区別されることによって、選挙の争点が表出される。

今回の参議院議員選挙における本来の争点は、「TPP参加」、「憲法改正」、「原発の再稼働」、「東京電力福島第一原子力発電所の廃炉問題」、「消費税増税」等であった。「ねじれ」を除く、これらの争点の是非が問題になったはずであった。もし、「憲法改正」という争点が明確であったならば、見出しは「自民圧勝、憲法改正へ」であったはずである。しかし、新聞各社とも、このねじれの解消こそが問題の第一であったと考えていた。その結果が、多くのマス・メディアの一面の見出しが同一であるという結果を導いた。選挙結果が、同じ概念によって表現されていた。

ここで、「ねじれ」という概念とその用語法について述べてみよう。まず、概念について述べてみよう。衆議院と参議院の間に「ねじれ」があることは、憲法がそもそも想定していることである。「ねじれ」は存在しなければならない。二院制を採用することの目的は、一方の院の独走を抑制することにある。とりわけ、参議院の意義は良識の府として、衆議院の決定を大所高所から再検討することにある。両院の政党構成が同一であるならば、二院制を採用する意味がない。本来の争点であるはずであった「TPP参加」、「憲法改正」、「原発の再稼働」、「東京電力福島第一原子力発電所の廃炉問題」等に関して、両院がほぼ同一の決定傾向を持つとするならば、参議院の存立根拠に対して、疑念が呈せられるであろう。「ねじれ」という言葉で表現される政治的事柄は、マス・メディアによって否定的に意味づけられていたにもかかわらず、政治的観点からすれば肯定的な事態である。

ここで、選挙結果という政治的な重要事項に対して、「ねじれ」という日常用語が使用されることの是非について、考えるべきであろう。通常の場合、政治的事柄を表現する場合、日常用語の使用は控えられている。にもかかわらず、マス・メディアは「ねじれ」という日常用語を使用してきた。文語中心の書き言葉に、日常用語としての話し言葉を導入した効果は大きい。数多くの争点のなかで、その用語が異彩を放った。「TPP参加」、「憲法改正」、「原発の再稼働」、「東京電力福島第一原子力発電所の廃炉問題」等の論点は、必ずしも日常会話にはなじまない。「衆参両院のねじれ」転じて「ねじれ」であれば、日常会話においても違和感はない。たとえば、会社組織においても、本店と支店との意見の相違は、両者における「ねじれ」として表現される。それが国民の深層心理に浸透した。少なくとも、本来の争点が漢字、あるいは英語として表現されていることと対照的であろう。

また、「ねじれ」という用語は、日常会話において否定的に使用される。この用語の後には、「解消」という単語しか続かない。それには、暗黙のうちに述語が含まれている。日常会話において「ねじれ」に対して「素晴らしい」という用語が続くことはまれであろう。この用語の取捨選択において、まさに本日の選挙結果が想定されていたのであろう。もちろん、この選挙結果を自由民主党は願望していた。政党がより多くの得票を獲得しようとすることは、必然である。自民党の広報戦略の勝利であろう。「チーム世耕」は敢闘賞に値する。しかし、マス・メディアがこの用語を使用したことによって、自民党の願望を追随したことになった。政財官のトライアングル(三角形)ではなく、政財官とマス・メディアのスクエア(四角形)あるいはランバス(菱形)が形成されていたと推定できる。自民党の戦略を具現化したマス・メディアは、敢闘賞に値するのであろうか。

また、翌日の新聞がほぼ同様な一面を飾ったことの背景には、世論調査の精度が数十年前と比較して、格段に進歩したことが挙げられる。事前に予想された選挙結果予想は、選挙区に限定すれば、ほぼ99パーセント的中していた。唯一の例外は、東京選挙区(定数5)において4位当選した山本太郎に関する予測であろう(彼の当選に関しては後述する)。それ以外の候補者の当落予測に関していえば、新聞社の付属世論調査機関、世論調査研究所の予想はほぼ的中していた。それゆえ、新聞各社は、選挙翌日の新聞見出しを遅くとも、1週間前に書き終えていたであろう。その結果、ほぼ同一の見出しを打つことになった。新聞各社が想定していたことが、ほぼ同一の視角から検討されていたことが推定される。自らが争点の一つにしていた「ねじれの解消」が、実際の選挙において現実化された。個々の新聞記者は選挙結果に対して異なる見出しを付けたかもしれないが、少なくとも各社の編集委員長は、選挙結果に対して「ねじれ解消」と性格づけた。このような同質性が多くのマス・メディアに共有されていた。

山本太郎は、このような近代合理性を打ち破った。世論調査の多くは、彼を次点、あるいは次次点と予想していた。大方の予想によれば、巨大な組織票を持つ二人の候補者には勝てないと見られていた。多くの世論調査機関は彼の順位を、6,,8位と予想していた。しかし、彼は自民党と民主党の候補者をおさえて、堂々の4位当選であった。もちろん、「生活の党」等の支持者が、勝手連的に彼を応援していた。それを差し引いても、世論調査という合理的手段によって基礎づけれた学問的結論に対して、彼とその支持者は異議を申し立てた結果になった。

その要因は、演説のスタイルが従来型の政治家とは異なっていたことにある。彼は日常用語を駆使していた。脱原発という政策も客観的、合理的なものとして把握され、発話されていたのではない。その政策は、山本太郎という人格と密接に関連していた。脱原発であれ、原発容認であれ、多くの政治家はその政策がいかに合理的であるかを述べる。ある命題の妥当性が問われるとき、発話主体の個人的要素は捨象される。発話主体の学歴、家族構成、家柄、性、年齢等は問題にならない。その客観的な論理的合理性のみが問われるからである。ここでは、その発話主体の固有の問題等は捨象されている。

また、彼の学歴も他の候補者とは異なっている。彼は高校中退である。彼の現在の職業は俳優であるが、仕事を回してもらえない状況にある。俳優としての山本太郎は、仕事をしていない。彼の状況は、失業者とほぼ同一である。中卒の失業者という経歴は、現在の日本社会では否定的に把握されている。通常の政治家の場合、否定的側面は隠されるべき点として認識されていた。にもかかわらず、彼はその否定的側面を演説の前面に出していた。それが彼のスタイルであった。派遣労働者として生きている若者にとって、その言説内容とともに彼はよき仲間つまり「俺たち」であった。社会的に恵まれない層に理解可能な言語が、駆使されていた。その言説は、客観的かつ合理的ではなかった。それは山本太郎という個人と関連しており、日常用語の域を超えていない。

山本太郎とほぼ同一の言説を述べていた候補者が、三宅雪子(「生活の党」比例区で落選)であった。彼女は選挙期間中、東京において山本太郎と一緒に演説することが多かった。多くの有権者が、新宿歩行者天国、巣鴨地蔵周辺等で、この二人のコラボレーションを見ていたはずである。二人の演説内容もほぼ同一であった。にもかかわらず、獲得票数において両者の間に雲泥の差異があった。なぜ、彼女は山本太郎と同じカリスマ性を獲得できなかったのであろうか。解答は、彼女の言説が客観合理的でありすぎた点にあったように思われる。

通常の候補者とは異なり、彼女の経歴が山本太郎とは逆に作用した。彼女のパンフレットによれば、三宅雪子は石田博英元労働大臣の孫である。故人は保守派であったが、良識派として名声を博していた。また、彼女自身も著名な大学を卒業している。これらの要素は、通常の候補者の経歴として問題にならない。むしろ、好ましい。しかし、山本太郎を熱狂的に支持した労働者にとって、彼女は「俺たち」ではなく、「あなた方」に属していた。彼女の言説が客観的に合理的であればあるほど、空疎に響いたのかもしれない。

                             

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