« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

スイス気象メディア社(Meteomedia AG)による東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質拡散予想のドイツ語版からの閲覧不能――日本語版のみでの閲覧可能性

20120625 スイス気象メディア社(Meteomedia AG)による東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質拡散予想のドイツ語版からの閲覧不能――日本語版のみでの閲覧可能性

 

 

ドイツ気象庁が20117月下旬で東京電力福島第一原子力発電所からの高度放射能汚染雲拡散予想を停止したので、20118月以降、スイス気象メディア社(Meteomedia AG)という民間企業が、その予想を継承した。[1] 

この営利企業による予想は、105001500m の異なる三つの高さの風向きを同時に提示している。この会社はドイツ気象庁に比べてより詳細な情報を我々日本人に提示している。しかも、この予想は万人に開かれている。

もちろん、日本国政府、気象庁もその予想をしているはずである。しかし、国民には知らせていない。知らせているかのかもしれないが、多くの国民にはその情報への接近はほとんど困難である。この状況は、2012624日現在でも変わらない。我々は、この気象会社にその生存可能性を依存している。東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故は、未だ終焉していない。毎日、放射能は空気と土壌そして農産物を汚染している。麗しき日本ではなく、放射能にまみれた日本列島に我々は居住している。

スイス気象メディア社(Meteomedia AG)は、東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質拡散予想をドイツ語版から閲覧不能にした。少し、混乱した。しかし、日本語版からその情報を我々は獲得できる。[2] ほとんどの欧州人もまた、東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故を問題にしようとしないのであろうか。日本人にとっての命綱は、かろうじてまだ繋がっている。しかし、近い将来この命綱も怪しくなるかもしれない。

|

官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(その三)ーー抽象的関心と提言の具体性

官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(その三)ーー抽象的関心と提言の具体性

                        2012621日   田村伊知朗

 

1.「世界観の提示」

提言は、抽象的内容と具体的内容の二つの異なる領域から構成される。抽象的内容は、提言の具体性が、大きな問題たとえば近代の時代認識とどのように関連しているかを提示する。どのような小さな問題であれ、その時代のより普遍的問題と関連している。あるいは、地域の緊急の問題と関連している。

 より大きな視点がないかぎり、小さな問題の意味を万人が理解することは不可能である。なぜ、これまで着目されてこなかった問題を今設定しようとするのか。この意識が抽象的問題と関連する。それは、提言者の世界観を表現している。世界における無数の問題から、なぜこの問題を選択するのかが問われている。

 このような視点は、民間会社における提言書には必要ないとみなされている。究極的にいえば、営利企業におけるこの根拠づけは簡単明瞭であるからだ。つまり、利益の確保である。一言でいえば、銭である。

 

2.「具体的提言」

 提言はより具体的でなければならない。地方行政担当者が理解できることが前提である。抽象的な議論に対する理解を求める必要はない。地方官僚機構において生きる人間は、ごく限られた範囲の事柄にしか関心がないような教育をされる。

 中央官庁のキャリア官僚は、国家の土台を形成するという意識をどこかで持っている。彼らは20歳代に、欧米の大学院へと官費で留学する。生活を保障されながら、日本という空間から隔離される。それに対して、地方行政担当者には海外留学の機会は与えられない。彼らには国家の土台を形成するという意識は、ほとんどない。そのような意識は、限られた問題に対する責任とはほとんど関係がない。

具体性を欠いた提言は、ほとんど相手にされない。提言書において哲学的問題の解答を求めることは、意味がない。それは大学内の閉鎖的集団における討論に委ねられる。但し、この討論はほとんど現実的関心から遊離している。

 

3.「受益者」

 提言は受益者を前提にしている。無意識的であれ、意識的であれ、提言によって利益を得る人間がいる。それを明白にすべきである。普遍的国民が受益者であることはまれでしかない。

|

官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(そのニ)ーー回答書における日付、役職名、公文書番号等の記載に関するお願い

20120617 官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(そのニ)ーー回答書における日付、役職名、公文書番号等の記載に関するお願い

1. 官公庁に提出するときには、以下の事柄が必須になる。さもないと、名無しの権兵衛の文書が返ってことになる。筆者もそのような経験がある。期待することもほどほどにする。場数を踏むことも重要である。

2. 文書を提出した場合、その返答期限を明記することが重要である。通常は30日程度の時期を明示する。

経験上、都道府県レベルで提言書を書いた場合、期限を明記せずとも2週間前後で回答書を得ることができる。しかし、市町村レベルであれば、1か月以上経過することもある。また、無の礫の場合もあった。つまり、何ら返答がないこともあった。市町村民の自発的活動をほとんど看過したそうである。あとで内々で聞いたところ、提言者の身元を詮索しただけで終わったようである。提言者は××氏の親戚か、で終わったそうである。提言書の内容よりも、××氏の噂で庁舎内の話題が一時期盛り上がったそうである。トホホ。

3. 次に回答者の「氏名」、「役職」等をお願いする。これらのものがない場合、文書としてはほとんど意味がない。文書の日付も重要である。これらの文言がない文書をいただいた経験はある。文書主義が当然の世界においてこれらの情報を記さないことは、文書として取り扱わないことを意味している。

 最悪の場合、ただ課名だけを記した文書を受領することもある。都道府県レベルでさえそうである。

4. 提言書は官庁の公文書として処理される。したがって、その文書番号の提示をお願いする。また、回答書の文書番号の提示もお願いする。地方公務員はこれらの情報を市民に対して提示いないことがある。ままある、と言っても過言ではないであろう。

|

官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(その一)

官庁等への提言書の意義づけ及びその書き方(その一)

                        2012523日   田村伊知朗

 

1. 市民あるいは国民の義務としての提言書

 近代市民は、ある共同体たとえば国民国家、地方自治体等に属している。あるいは機能集団として学校、大学、企業等に属している。その構成員として当該共同体あるいは機能集団の利益のために、ある提言をすることができる。あるいはしなければならない。共同体の利益は、その個人の利益にもなるからだ。共同体あるいは集団はつねになんらかの問題を抱えている。問題のない集団は想定できない。これらの問題を口頭で担当者に伝達するのでなく、文書によって明示することが重要である。とりわけ、行政機関は文書主義を徹底している。すべての公文書は最低でも5年間は保存することが義務付けられている。

また、ある提言をする動機は、その提言に関する事柄に対して興味関心を有していることにある。その関心を文章化することによって、自分の関心を明白にすることにもつながる。自分にとって何が問題になっているかを対象化できる。

 

2. 次に提言書が完成したと仮定してみよう。それを郵送することも可能である。しかし、たとえ個人の提言書であれ、地方自治体首長あるいは内閣総理大臣ですら直接手渡すこともできる。そのことによって、提言書はより実効性を確保できる。もちろん、そのためには「根回し」が必要になる。当該提言に直接的に関係する部署の課長あるいは係長が、その文書を事前に閲覧することも必要である。

 新聞記事あるいはテレビ放送等で、ある提言を首長等に手渡す写真あるいは放送を見聞することがある。その場合、首長等を取り囲む部下、あるいは首長自身もその提言を事前に知っている。そうでなければ、多忙な首長等に会見する時間を割愛していただけないからだ。それは儀式でしかない。しかし、儀式は重要である。儀式によって初めて、一般市民は提言の存在を認識できる。

 

3. 次に、具体的提言書の書き方を提示しよう。

 まず、表紙をつけることが大事である。官庁用語では、「鑑(かがみ)」と言うそうである。この鑑には、具体的提言を掲載することはない。その表紙に書くことは以下の順序になる。

(イ)相手方の名前

例えば**市長であれば、肩書を書いた後に、実名を書く。誰を相手方にするかという場合、提言内容の趣旨と同時に、その位階が問題になる。できれば、高位の位階がより実効性を有する。しかし、あまりに高い位階は、提言内容の程度と釣り合わない。日本国家の政治的位階制の頂点に位置するのは、内閣総理大臣である。しかし、その提言内容が特定地域にしかかかわらない場合、総理大臣を相手方に選択すれば、かえって恥をかくことになる。要は分を弁えることが重要であろう。

(ロ)提言書の題名

 題名は論文と同様である。主題名には、抽象的かつ哲学的内容が要求される。如何に、些少とも見える提言であれ、その背後には政治的あるいは経済的な大問題が横たわっている場合もある。副題名はできるかぎり、具体的でなければならない。行政が解決できない哲学的問題は、提言になじまないからだ。具体的であればあるほど、行政はその提言に対して善処可能である。

(ハ)日付

 官庁の世界では、平成等の元号を使用することが慣例になっている。元号は法制化されている。西暦は厳密に言えば、キリスト教歴である。イエス・キリスト生誕以後2012年目という宗教的暦である。しかし、西欧の標準が世界標準になって以後、西暦を使用することが一般化している。一般的社会において西暦使用が便利である。官庁に対する文書は、元号を使用することが強制されている。なお、日付には曜日は必要ない。

(二)提言者

 提言者の肩書を書いた後に改行して、実名を標記する。肩書は正確に記す。学生であれば、略称ではなく大学の正式名称を書く、たとえば、慶大ではなく、慶応義塾大学**学部2年生と書く。学部名も重要である。社会人であれば、**株式会社**支店**営業所等の部署名と、係長等の位階名を書く。もちろん、会社とは無関係であれば、**市住民でも問題ない。

(ホ)まとめ

(イ)、(ロ)、(ハ)、(二)の順序で1頁にまとめる。レイアウトも重要である。一番大きいフォントは、(ロ)の題名であり、次に大きいフォントは(イ)である。書体は各自好みに応じて、変更してもかまわない。基礎情報がこの順序で書かれていることが重要である。

 

2 頁以後は後日に公表する。

 

|

東北、関東、上越そして北海道東部におけるセシウム137等の放射能汚染ーー30年以上継続する土壌と空気の汚染

Img0481_2

20120611 東北、関東、上越そして北海道東部におけるセシウム137等の放射能汚染ーー30年以上継続する土壌と空気の汚染

 

 本ブログ記事は、 „Ein Jahr nach Fukushima. In: Berliner Zeitung, Nr. 60. 10/11. März 2012, S. 5.  の記事によって触発されたものである。本記事は、この新聞が依拠するPNASの研究成果に基づいている。この日、ドイツの多くの新聞では同様な記事が見受けられた。日本の新聞よりも外国の新聞のほうが有益とは、情けないかぎりである。

 

PNAS(アメリカ合衆国国家科学アカデミー報告書)の記事(20111114日)によれば、日本列島の土壌のセシウム137による汚染度はかなり広範囲にわたっている。[1] 日本人研究者と思われる安成哲平ほかの共同研究の成果である。[2] この汚染地図によれば、セシウム137の土壌汚染は、福島県全域に及んでいることは当然である。しかし、それだけにとどまらない。セシウム13750ベクレル/1Kgの汚染だけに限定しても、岩手県南部から宮城県、福島県、茨城県、栃木県、千葉県という東北本線、常磐線を縦断し、群馬県、東京都、神奈川県西部にまで及んでいる。また、秋田県、山形県の一部の汚染も看過できない。その範囲は、20115月現在、EU(欧州共同体)の検査対象になっていた12都県(福島、群馬、茨城、栃木、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉)とほぼ重なる。セシウム137による汚染は、ほぼ数十年継続する。

また、関東の汚染程度と同様な地域が、釧路、根室等のある北海道東部から北方領土にかけて広がっている。昨年春からドイツ気象庁等の放射性同位元素の拡散予測に親しんできた市民であれば、当然の結果として認識される。[3]

ほぼ無傷であると思われるのは、九州、関西、中部日本、そして北海道西部である。これらの地域の農産物は、ほぼ安全であろう。そして中国、四国地方もほぼ問題ないであろう。これらの地域の食品を摂取することが要請されている。

もちろん、このような言説は特定集団の研究成果であるかぎり、絶対的な真実とみなすことはできない。いくつかの錯誤があるかもしれない。北海道東部の汚染についても、その程度に関して、疑問符をつける研究者もいる。しかし、概説的に言って、正しいものであろう。そのすべてから逃れることはできないとしても、これらの地域の農産物、海産物等の摂取には慎重であるべきあろう。さらに、セシウム137以外の放射性同位元素たとえば、ストロンチウム90による土壌と空気汚染に関しては研究がない。素人である市民は、このような研究成果を科学的研究成果としてではなく、常識として受容する。幼児、少年だけではなく、これから誕生する新生児もまた共有しなければならない基礎知識である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[2] Teppei J. Yasunari, Andreas Stohl, Ryugo S. Hayano, John F. Burkhart, Sabine Eckhardt, and Tetsuzo Yasunari

From the Cover: Cesium-137 deposition and contamination of Japanese soils due to the Fukushima nuclear accident

PNAS 2011 108 (49) 19530-19534; published ahead of print November 14, 2011, doi:10.1073/pnas.1112058108

|

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »