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「分」を弁えるーー東京本社提案の営業所改革案に難癖をつける地方営業所――東京本店、東北仙台支社、福島支店に喧嘩を売る馬鹿

20120510 「分」を弁えるーー東京本社提案の営業所改革案に難癖をつける地方営業所――東京本店、東北仙台支社、福島支店に喧嘩を売る馬鹿

 

 ここで東北地方におけるある営業所を例にとってみよう。先日の記事同様に、この地方都市をさしあたり会津若松市とみなしてみよう。この営業所所在地は、日本のどこにでもある地名でもよい。さしあたり、会津若松市としているだけである。A都市でもよいが、わかりやすくするために、A市を会津若松市しているだけである。会津若松市に縁があるわけではない。

 ここで、ある組織体における東京本社から示された会津若松営業所の改革を例にしてみよう。ここでの営業所長が馬鹿でないかぎり、本社から示された会津若松営業所改革を拒否することはない。どのような痛みを伴う改革案であれ、粛々と実施するしかない。せいぜい、酒席で憂さを晴らすだけである。

この営業所長が本社提案の営業所改革案を拒否したと仮定してみよう。この営業所改革案は、東京本店だけではなく、東北仙台支社と福島支店の了解を取っているはずである。もし、営業所長が本社提案を拒否すれば、営業所は東京本店だけではなく、東北仙台支社と福島支店にも喧嘩を売ることになる。このような馬鹿げた決定は、冷厳な経済法則を熟知するビジネスの世界では起こりようがない。しかし、このような合理性に依拠しない組織であれば、このような決定を成すことになる。学者の世界ではこのような決定はありうる。

 このような営業所長は合理性に依拠してないだけではない。むしろ、道理それ自体に叛旗を翻している。もちろん、単なる営業手法に関することであれば、このような喧嘩を売ることはよい場合もあるかもしれない。しかし、改革提案が本社提案であるかぎり、この営業所の営業形態一般と関係している。このような重大な決定に際して、東京本社に対して叛旗を翻す営業所長がいることは、合理性と道理そのものを弁えない組織ではありうる。別に誉めているのではない。このような営業所長に対しては、呉智英によって発見された「馬鹿につける薬」しか役立たないであろう。

 分際を弁えない営業所の廃止もいづれ検討される。10年後の営業不振が明らかな営業所を廃棄してもそれほど問題ないからだ。もうすでに検討済かもしれない。

 

 

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