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「分」を弁えるーー地域社会のある営業所の改革――東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地との重層的関係における営業所の改革

20120505 地域社会のある営業所の改革――東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地との重層的関係における営業所の改革

 日本の著名な企業、そして行政機構もまた、東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地の重層的な支配構造下にある。たとえば、東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地の四者の関係を分かりやすくするために、福島県会津若松市を例にしてみよう。本稿では、この会津若松市は全国に多々ある市町村の代表として用いているにすぎない。

この市の上位機構として、東京、仙台市、福島市がある。東京には多くの企業の本社がある。仙台市にはその支社が置かれる。県庁所在地である福島市には、その支店が置かれる。会津若松市には、福島支店会津若松営業所が置かれる。このような企業体は全国どこにも見られる。このような重層的関係において、会津若松市の行政、そして企業がなんらかの活動をしている。今回の考察はこの一地方営業所の改革をめぐるものである。

 如何に会津若松営業所の営業成績が現在良好であっても、東京本社がその10年後の営業不振を見越して改革を営業所に強制することは多々ある。営業不振に陥ったあとに、改革しようとも遅いからだ。営業所の改革、たとえばその業務様態の転換には多くの痛みが伴う。リストラもあるかもしれない。その場合、営業所所長は、現在の好成績を理由として、その改革を拒否できるであろうか。たとえ、この営業所所長が生え抜きの会津若松営業所採用であったとしても、東京本社、仙台支社、福島支店と、営業所の営業業態をめぐる論争をする権利があろうか。会津若松営業所は、どのような苦難があろうとも改革を実施しなければならない。もし、それを拒否すれば、数年後にはその存亡が問われるはずである。もちろん、そのころには営業所長は定年後の悠々自適の生活を送っているはずである。多くの企業体では東京本社、仙台支社の命令に従っているはずである。しかし、会津若松営業所がそれを拒否することもありうる。馬鹿な所長として、営業所の総意などを持ち出して、それを拒否することもありうる。

 会津若松営業所がそれを拒否すれば、10年後に悲惨な運命を蒙るのは、その営業所採用の労働者である。彼らは果たして福島支店、仙台支社に移動できるのであろうか。もちろん、一部の有能な営業部員はその恩恵に与かることができる。しかし、多くの労働者の運命は過酷である。

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