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「分」を弁える――選択肢なき決定受容と必然性への洞察――営業所の業態改革への抵抗

20120513「分」を弁える――選択肢なき決定受容と必然性への洞察――営業所の業態改革への抵抗

 

 先日のブログ記事において、地方営業所の業態変革の問題を論評した。東京本社、東北支社、福島支店総体の意思として、その業態変革が提案されている。この提案を地方営業所(たとえば会津若松営業所)は、拒否することができるのであろうか。

 上位の三者に抵抗するという選択肢は、営業所にはない。そもそも、営業所は上位機関の下部機関として設定されている。そのような重層的決定機構のなかで、営業所は経済法則のうちにある。そこにあるのは、その関係における必然性に対する洞察でしかない。

 もし、この必然性を営業所の特殊な欲求によって拒否しようとする場合、どのようなことが生じるのであろうか。営業所の閉鎖もその選択肢として浮上する。もちろん、このような選択肢は、選択肢とは言えない。英明な営業所長が存在しないことが、この営業所の運命を決定するかもしれない。もっとも、この営業所はそのような選択肢をそれ自体として考慮の対象にいれていないのであろうが・・・・。

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「分」を弁えるーー東京本社提案の営業所改革案に難癖をつける地方営業所――東京本店、東北仙台支社、福島支店に喧嘩を売る馬鹿

20120510 「分」を弁えるーー東京本社提案の営業所改革案に難癖をつける地方営業所――東京本店、東北仙台支社、福島支店に喧嘩を売る馬鹿

 

 ここで東北地方におけるある営業所を例にとってみよう。先日の記事同様に、この地方都市をさしあたり会津若松市とみなしてみよう。この営業所所在地は、日本のどこにでもある地名でもよい。さしあたり、会津若松市としているだけである。A都市でもよいが、わかりやすくするために、A市を会津若松市しているだけである。会津若松市に縁があるわけではない。

 ここで、ある組織体における東京本社から示された会津若松営業所の改革を例にしてみよう。ここでの営業所長が馬鹿でないかぎり、本社から示された会津若松営業所改革を拒否することはない。どのような痛みを伴う改革案であれ、粛々と実施するしかない。せいぜい、酒席で憂さを晴らすだけである。

この営業所長が本社提案の営業所改革案を拒否したと仮定してみよう。この営業所改革案は、東京本店だけではなく、東北仙台支社と福島支店の了解を取っているはずである。もし、営業所長が本社提案を拒否すれば、営業所は東京本店だけではなく、東北仙台支社と福島支店にも喧嘩を売ることになる。このような馬鹿げた決定は、冷厳な経済法則を熟知するビジネスの世界では起こりようがない。しかし、このような合理性に依拠しない組織であれば、このような決定を成すことになる。学者の世界ではこのような決定はありうる。

 このような営業所長は合理性に依拠してないだけではない。むしろ、道理それ自体に叛旗を翻している。もちろん、単なる営業手法に関することであれば、このような喧嘩を売ることはよい場合もあるかもしれない。しかし、改革提案が本社提案であるかぎり、この営業所の営業形態一般と関係している。このような重大な決定に際して、東京本社に対して叛旗を翻す営業所長がいることは、合理性と道理そのものを弁えない組織ではありうる。別に誉めているのではない。このような営業所長に対しては、呉智英によって発見された「馬鹿につける薬」しか役立たないであろう。

 分際を弁えない営業所の廃止もいづれ検討される。10年後の営業不振が明らかな営業所を廃棄してもそれほど問題ないからだ。もうすでに検討済かもしれない。

 

 

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「分」を弁えるーー地域社会のある営業所の改革――東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地との重層的関係における営業所の改革

20120505 地域社会のある営業所の改革――東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地との重層的関係における営業所の改革

 日本の著名な企業、そして行政機構もまた、東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地の重層的な支配構造下にある。たとえば、東京、(実質的)道州制首都、県庁所在地、非県庁所在地の四者の関係を分かりやすくするために、福島県会津若松市を例にしてみよう。本稿では、この会津若松市は全国に多々ある市町村の代表として用いているにすぎない。

この市の上位機構として、東京、仙台市、福島市がある。東京には多くの企業の本社がある。仙台市にはその支社が置かれる。県庁所在地である福島市には、その支店が置かれる。会津若松市には、福島支店会津若松営業所が置かれる。このような企業体は全国どこにも見られる。このような重層的関係において、会津若松市の行政、そして企業がなんらかの活動をしている。今回の考察はこの一地方営業所の改革をめぐるものである。

 如何に会津若松営業所の営業成績が現在良好であっても、東京本社がその10年後の営業不振を見越して改革を営業所に強制することは多々ある。営業不振に陥ったあとに、改革しようとも遅いからだ。営業所の改革、たとえばその業務様態の転換には多くの痛みが伴う。リストラもあるかもしれない。その場合、営業所所長は、現在の好成績を理由として、その改革を拒否できるであろうか。たとえ、この営業所所長が生え抜きの会津若松営業所採用であったとしても、東京本社、仙台支社、福島支店と、営業所の営業業態をめぐる論争をする権利があろうか。会津若松営業所は、どのような苦難があろうとも改革を実施しなければならない。もし、それを拒否すれば、数年後にはその存亡が問われるはずである。もちろん、そのころには営業所長は定年後の悠々自適の生活を送っているはずである。多くの企業体では東京本社、仙台支社の命令に従っているはずである。しかし、会津若松営業所がそれを拒否することもありうる。馬鹿な所長として、営業所の総意などを持ち出して、それを拒否することもありうる。

 会津若松営業所がそれを拒否すれば、10年後に悲惨な運命を蒙るのは、その営業所採用の労働者である。彼らは果たして福島支店、仙台支社に移動できるのであろうか。もちろん、一部の有能な営業部員はその恩恵に与かることができる。しかし、多くの労働者の運命は過酷である。

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