「分」を弁える――労働者は労働者らしく、経営者は経営者らしく
20120429 「分」を弁える――労働者は労働者らしく、経営者は経営者らしく
分という観点から、労働者と経営者の関係を考えてみよう。労働者は、専門的視野しか持たない。自らに依頼された極めて狭い範囲の視野しか持たない。たとえば、大学教授を例にとろう。大学教授は自分に委ねられた狭い範囲の専門を教授するだけである。社会福祉の教授が理論物理学の最先端に関して講義することはないし、できない。
もちろん、経営者も狭い範囲の事柄しか関心がない。しかし、それはその企業、法人の経営という分野である。この分野に関して、多くの労働者はそもそも関与できないし、関与してはならない。多くの労働者は、経営学の専門家を除いて経営に関する基礎知識を有していない。したがって、労働者は経営に関与すべきではない。
かつて、塩路一郎日産労働組合委員長は、日産自動車の経営、とりわけ経営者の人事に関与したと言われている。労働者の分を忘れた典型である。日産自動車が外資、すなわちフランスのルノー社傘下に吸収されたことは、記憶にとどめられている。
労働者は経営に関与すべきではない。もちろん、経営一般に関心を持つことは必要である。しかし、労働者が現実の経営に関与する場合、労働者であることを廃棄しなければならない。労働者は労働条件に関する事柄に限定して、経営者に影響を行使すべきである。
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