政治的セクトから政党への絶望的願望ーーその宗教的セクトへの変転
20110721 政治的セクトから政党への絶望的願望ーーその宗教的セクトへの変転
イエス・キリストは、生まれながらにしてキリスト教徒であったのであろうか。彼はユダヤ教徒の分派であった。少なくとも、同時代人にはそのように映現していた。もちろん、彼は徐々にユダヤ教主流派から分離して、最終的には刑死した。ユダヤ教徒からすれば、異端の宗祖が死ぬことによって異端は壊滅されたように思われた。
歴史的にはこのユダヤ教異端は独自性を強化して、世界宗教になった。現在では、広義のキリスト教徒はユダヤ教徒が足元にも及ばないような世界最大の勢力を誇っている。イエス・キリストは、異端つまり宗教的セクトの教祖から、世界最大の宗教の教祖に変貌した。
このような事例から、宗教的セクトは最終的に正統派をも凌駕するという命題を導出することは可能であろうか。このような事例はごく稀であり、多くの宗教的セクトはセクトのままで終わり、歴史の闇のなかで葬り去られた。キリスト教の歴史だけを考察しても多くの宗教的セクトが排除された歴史である。宗教的セクトだけを取り出しても、それだけでキリスト教史が執筆できるであろう。
現代日本では、セクトという用語は、宗教的用語ではなく、政治的用語として使用されている。それは少数の政治集団として理解されている。この少数派が多数派として、成立する可能性はあるのであろうか。マルクス主義を冠する多くの政治的セクトが、将来国会議員の多数派を形成する機会はあるのであろうか。多くの政治的セクトは自身の正当性を主張している。将来、その正義は実現されるのであろうか。その可能性は絶望的な確率でしかない。しかし、多くの政治的セクト構成員は、自らの生活、否自らの人生を賭けて、政治的活動を実施している。将来彼らによって主張される正義が、実現される日々を待ちながら。
この将来への希望は、神の国の実現を期待しているキリスト教徒の希望に相似している。再び、政治的セクトは宗教的セクトへと変貌する。神の国の実現は、マルクス主義の実現と同様に現世ではほぼ不可能であろう。政治と宗教の一体性が顕れている。
« 討論会ーー近代と前近代を区分する概念 | トップページ | ドイツ気象庁による拡散予想停止ーー惨めな日本人(一) »
「近代という時代認識」カテゴリの記事
- ドイツ帝国市民運動・ライヒスビュルガー (Reichsbürger)ーードイツ的なものの喪失という思想状況(2022.12.09)
- 闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論 暫定的結論(2023.02.07)
- 「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば――中村天風試論」における「珈琲時間」の統合(2022.10.23)
- 研究会報告原稿 (2022.01.21)
- 田村伊知朗への連絡方法ーーコメント欄へ(2022.10.06)