Fukushima(福島), Tsunami(津波), そしてある少女の死に関する思想史的考察――その二 人間認識論
20110611
Fukushima(福島), Tsunami(津波), そしてある少女の死に関する思想史的考察――その二 人間認識論
「自分の娘によく似た小さな遺体を目にしたとき、涙をこらえられなかった。胸に着いていた名札から小学3年生だと分かった。大切そうに抱えていた緊急持ち出し袋には大量のレトルト食品がパンパンに詰め込まれていた。持って走るには、きっと重過ぎただろう」。[1]
この少女にとって人間とは何であろうか。もちろん、ここでこの小学3年生の人間認識の錯誤を問題にしている。その錯誤の是正を小学生に求めることは、過酷であることは承知している。しかし、その認識論の錯誤は、近代人が陥る陥穽一般と関連している。それゆえ、本稿において問題にする。彼女の死を無駄にしないために。
彼女にとって、人間とは市民社会において何らかの役割を担う人間、あるいは自己の身体に限定されており、歴史的な環境世界において形成されてきた人間ではない。これは、現存する市民社会において求められた人間でしかない。市民社会的原理に従属する市民の役割意識が強化されたことによって、本来的自己と自己規制に従う活動は、疎外されている。この疎外された自己意識は、長期間教育によって肉体に浸透して第二の自然になっている。[2]
この第二の自然が解体され、自己に再領有されねばならなかった。少なくとも、この市民社会から自己同一性を反省する能力が獲得されねばならない。この少女が求められた役割は、身体を再生産するための食糧を確保することでしかない。この少女に欠けていたことは、万物への関与存在としての自己と、そこから構成された自己という認識である。市民社会による義務教育は、実利的合理性を追求している。しかし、人間はこのような現存する市民社会の合理性追求の主体に限定されてはならない。人間は歴史的な環境世界から構成されている。この環境世界は、歴史的な人間の身体、精神だけを意味しているのではない。まさに、すべての有機的連関それ自体を指示している。そこには、自然を含む環境世界から構成された万物が含まれている。
すなわち現存する市民社会において確立されるべき自己とは異なる自己が、認識されねばならかった。人間は、「自己自身を孤立としてではなく、より巨大な全体の一部として、つまり万物と深く結合していると感じる。宇宙へと連関している叢への結合展開は、・・・人間の進化の第一歩である」。[3] この新しい人間像は、現存する市民社会の合理的人間像と根本的に対立している。
このような人間像に基づくかぎり、レトルト食品という卑小な現存する身体にとってしか有用でないものに固執することはなかった。より大きな自然と歴史的な環境世界に従属する身体という認識があれば、食糧に固執することはなかった。しかし、現在の義務教育は、現存する市民社会に適合する人間を生産する場所でしかない。このよう高次の人間論を、小学生に教えることはしていない。それが、この少女の死をもたらした。
[1] 「嗚咽、呪い、怒り――遺体確認の法医学者も涙した凄惨現場」『ZAKZAK』(2011年4月4日)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110404/dms1104041555021-n1.htm (夕刊フジ)
[2] Vgl. W. Klehm u. P. Ziebach: Konzepte zugehender Bildungsarbeit: Das Modell „ Zwischen Arbeit und Ruhestand“. In: Hrsg. v. S. Kühnert: Qualifizierung und Professionalisierung in der Altenarbeit. Hannover 1995, S. 212.
[3] F. Vaughan: Die transpersonale Perspektive. In: Hrsg. v. S. Graf: Alte Weisheit und modernes Denken. Spirituelle Traditionen in Ost und West im Dialog mit der neuen Wissenschaft. München 1986, S. 208.
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