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Fukushima(福島), Tsunami(津波), そしてある少女の死に関する思想史的考察――その三 防災技術論

20110612

Fukushima(福島), Tsunami(津波), そしてある少女の死に関する思想史的考察――その三 防災技術論

「自分の娘によく似た小さな遺体を目にしたとき、涙をこらえられなかった。胸に着いていた名札から小学3年生だと分かった。大切そうに抱えていた緊急持ち出し袋には大量のレトルト食品がパンパンに詰め込まれていた。持って走るには、きっと重過ぎただろう」。[1] 

 ここでは、防災技術論として、「緊急持ち出し袋」に限定して述べてみたい。この袋は、緊急に自宅から脱出するさいに、必要なものである。津波、地震等壊滅的被害が想定される場合に持ち出すものである。したがって、預金通帳、あるいは身分証明書、現金等の最低限、市民社会において必要とされるものである。しかも、自家用車による避難の場合を除けば、人間の手によって運搬可能なものでなければならない。しかも、それを持って走ることが想定されている。このような前提があれば、その持ち物は限定される。しかも、小学校以下の幼児であれば、このような家族にとって重要なものを持ち出す必要はない。2日分の自分の着替えで十分である。その着替えも、セーター、ワイシャツ類ではなく、下着だけで十分である。

 しかし、多くの幼児は、この以外に多くのものを持ち出しがちである。中には、玩具、御人形類を持ち出そうする幼児もいるであろう。また、自分の貯金箱、つまり10円玉、100円硬貨がぎっしり入った貯金箱を避難袋に入れようとする児童もいるかもしれない。これは、総額が数万円を超える場合、かなりの重量になる。父兄が紙幣に交換の上、避難袋に入れるべきであろう。5万円分を10円硬貨で換算すると、5000個になる。5000個の10円硬貨は10キログラムを超えることになろう(正確には10円硬貨1個は45グラムであり、225キロになる)。幼児が持参する袋が破損する場合もある。とても、幼児、あるいは大人ですら持参できない。

 彼女が持参しようとしたレトルト食品等の食糧はどうであろうか。それは、停電等で自宅避難する場合に、必要なものである。緊急に持ち出す必要はない。緊急持ち出し袋とは、差し迫る危機に対して、持参するものである。数日分の食糧を持参するなどは、大人でも無理である。水もそうである。水、食料等は自宅に保管すべきものだ。命と金があれば、資本主義体制が維持されているかぎり、ほとんど問題はない。都市部の避難所に行けば、最低限の水等は確保されるであろう。よしんば、確保できないと想定しても、それを持って走って避難することはそもそも不可能である。その瞬間の生と財産だけで十分だ。

 また、袋はどのような形態であろうか。もっとも望ましい形態は、リュクサックである。走る、あるいは長時間歩く場合に、もっとも適した袋は背中に背負う形式である。抱えて持たねばならない形態は、ふさわしくない。

 また、靴は歩くという行為にふさわしい運動靴が最高である。雨、雪の場合はそれにふさわしい靴があるはずだ。それぞれの地方、天候に応じた靴を日ごろから用意すべきある。


[1] 「嗚咽、呪い、怒り――遺体確認の法医学者も涙した凄惨現場」『ZAKZAK』(201144日)

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110404/dms1104041555021-n1.htm (夕刊フジ)

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