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「震災当日、東電社長の輸送機が防衛省指示でUターン」――馬鹿役人は、国家の存亡よりも、目前の危機しか対応できない――経済産業省に対する防衛省の嫌がらせ

20110426

「震災当日、東電社長の輸送機が防衛省指示でUターン」――馬鹿役人は、国家の存亡よりも、目前の危機しか対応できない――経済産業省に対する防衛省の嫌がらせ

震災当日、防衛省事態対処課長によって、東京電力社長は、すでに搭乗していた自衛隊機から降りるように命令された。すでに出発したヘリコプターは小牧空港にUターンした。これにより、東京電力社長は、東京電力株式会社福島第一原子力発電所爆発事故への対応が遅れた。『産経新聞』(2011.4.26)によれば、「事態対処課長は統合幕僚監部などを通じ、空自部隊に清水社長を搭乗させないよう指示しようとしたが、すでにC130は離陸していた。ただ、離陸直後だったため、課長は即座にUターンするよう求めた。同機は離陸から約20分後にUターンし、12日午前010分ごろ小牧基地に着陸した」。[1] 

清水社長が自衛隊機を使用することは、経済産業省から許可を得ていたはずである。一民間人が理由もなく、自衛隊機を使用することを要請することはありえない。この経済産業省の要請を、防衛相は拒否した。馬鹿役人の考えそうなことである。防衛省が経済産業省の要請を否定しているにすぎない。

しかし、本ブログはこの末端の課長を馬鹿役人とみなしているのではない。彼は、北沢防衛大臣の命令に従ったにすぎない。「防衛省では同じ11時半ごろ、運用企画局事態対処課長が北沢氏に『東電の社長を輸送機に乗せたいとの要請がある』と報告。北沢氏は『輸送機の使用は(東日本大震災の)被災者救援を最優先すべきだ』と強調した。」[2] 馬鹿は、北沢防衛相である。この段階で彼もまた、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の危機的状況を知っていたはずである。知らなかったのであれば、馬鹿であり、知っていてそのような命令を出したのであれば、単なる経済産業省に対する嫌がらせとしかみなせない。東京電力福島第一原子力発電所の危機は、単なる日本の危機ではない。全世界に対する危機であることは明瞭である。少なくとも、3月中の欧米の新聞は連日第1面でこの危機を報じていた。誰が見ても、そうである。北沢氏の判断は、馬鹿げたものである。

『毎日新聞』(2011.4.26)によれば、この判断を枝野幸男官房長官は、「26日午前の記者会見で『防衛相の指示は妥当だった。自衛隊も、大臣の決裁を受けずに飛行機がいったん飛び立ったのは不思議だ』と述べ、自衛隊の行動に疑問を呈した。」[3] この判断は明瞭に間違っている。この期に及んで、枝野官房長官は、経済産業省の要請を防衛相の内規手続き違反とみなし、北沢防衛相を擁護している。馬鹿を二人も、しかも官房長官、防衛大臣という中心的閣僚として二人も抱える管総理も大変である。もちろん、このような馬鹿を任命した彼の責任は追及されるべきであるが、同情にも値する。馬鹿にかこまれて大変ですね、と。

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日付の変更

 「環境放射能に関する日本の基本情報」と「ドイツ、イギリス等の放射能雲の拡散予想」という二つの記事の日付を2011年12月31日にしました。私が毎朝その記事によって、日本の放射能に関する状況を確かめるためです。本ブログでは、日付が古くなると、記事の検索が困難になります。この二つの記事をブログ記事の先頭に置きます。

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官僚的合理性――根源的議論なき文書的整合性だけを追求する馬鹿役人

20110425 官僚的合理性――根源的議論なき文書的整合性だけを追求する馬鹿役人

1年間に浴びる環境放射能は、1ミリシーベルトから20ミリシーベルへと変更されている。そこにおいて、どのような官僚的合理性も見出させられない。官僚に特有な前例踏襲主義すら、ここで放棄されている。20倍の基準変更にあたってどのような議論がなされたのであろうか。もし、20ミリシーベルト/年説が正しければ、311日以前に存在した1ミリシーベルト/年は完全に合理性を喪失する。

この変更によって、食物摂取における放射能基準も20倍に増大している。牛乳等の食品における317日以前の放射能基準は、10ベクレル/1Kg(セシウム137)、 10ベクレル/1Kg(ヨウ素131)であった。[1] しかし、牛乳等の食品における317日以後の暫定的放射能基準は、200ベクレル/1Kg(セシウム137)、300ベクレル/1Kg(ヨウ素131)へと変更されている。[2] 暫定基準値は、20-30倍に引き上げられている。

また、野菜におけるヨウ素131 の基準値も、100ベクレル/1Kgから、20倍引き上げられている。その暫定基準値は現在、2000ベクレル/1Kgである。

このような整合性は、官僚的合理性から当然引き出される。すべての暫定基準は20倍以上に引きあげられている。しかし、なぜ20倍にしなければならないのか、については議論されていない。

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馬鹿学者と馬鹿役人

 

200110425

カテゴリーとして「馬鹿学者」と「馬鹿役人」を追加します。本ブログでは、これらに関することをしばし問題にしてきました。今後は、それを中心にします。これまでのブログも時間があるかぎり、カテゴリーの変更をしたいと考えています。

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法的根拠としての年間1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに変更する、あるいは0,01ミリシーベルト/年のクリアランスレベル(「放射性物質として扱う必要がない物」を区分するレベル)の意味づけ

20110425 

法的根拠としての年間1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに変更する、あるいは001ミリシーベルト/年のクリアランスレベル(「放射性物質として扱う必要がない物」を区分するレベル)の意味づけ

「衆議院文部科学委員会会議録」 (第174回国会 第10号)によれば、クリアランスレベル(「放射性物質として扱う必要がない物」を区分するレベル)について議論されている。[1] 川端厚生労働大臣は、このレベルを今後の水準として努力したいと言明している。それによれば、放射性物質とし取り扱われるべきではないレベルは、001ミリシーベルト/年、つまり10マイクロシーベルトである。つまり、一日当たり、0.027マイクロシーベルトを超えると、放射性物質として取り扱うべきである。この基準を現在311日以降、すべて超えていない東北地方における県は、青森県以外にはない。逆に言えば、東北並びに関東における都県のほとんどにおいて、放射性物質が存在することになる。とりわけ、316日の環境放射能水準によれば、関東6県の値は、その数倍になっている。[2] 

 日本の法律によれば、1ミリシーベルト/年が基準になっている。福島県民の多くは、その基準をすでに超えている。もちろん、この内にはレントゲン検査、海外旅行の飛行機中における被曝も含んでいる。しかし、通常の自然的生活において浴びる以上の放射能を浴びねばならない日本人は、将来どのような障害を覚悟しなければならないのか。また、最近、年間20ミリシーベルトが基準として設定されている。開いた口がふさがらない。法律の基準を、20倍にする根拠はどこにあるのか。どの国会議員がこのような変更に賛成票を投じたのか。あるいは、法令の変更などとは無関係に、厚生労働省の役人が国会における法改正を待たずに変更したのであろうか。

 クリアランスレベル(「放射性物質として扱う必要がない物」を区分するレベル)は、どこへ行ったのであろうか。この議論は東京電力福島第一原子力発電所の爆発以来、忘れ去られている。

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東北日本、北日本の放射能汚染--日本の主食、米の放射能汚染

20110422 東北日本、北日本の放射能汚染

オーストリア国立気象学・地球力学中央研究所(ZAMG)、ドイツ気象庁(DWD)によれば、2011423日(土)、24日(日)にかけて、東京電力株式会社福島第一原子力発電所からのかなり汚染された放射能雲が、東北地方、北海道地方を襲うようである。1

この意味は、単なる天気予報を越えている。まず、今後春から夏にかけて、風向きが北風から南風に変化する。風向きの基本方向に従えば、東京方面ではなく、仙台、札幌方面へと汚染された放射能雲が移動する。東北日本だけではなく、北日本の放射能汚染が問題になる。

この風向きの基本的変化は、東北、北海道という日本の穀倉地帯が放射能によって汚染されることを意味している。とりわけ、春から夏という季節は、日本の主食、米の生産時期と合致している。汚染の程度は、風向き、風力、東京電力株式会社福島第一原子力発電所からの放射性物質の拡散程度等に依存している。しかし、これらの地方の汚染が少なくとも考察対象になる。

主食はほぼ毎日摂取する。その累積放射性物質の量にも依存するが、内部被曝が真剣に議論されるはずである。誰もが、セシウム137、プルトニウム239等を根から吸収した米を食べようとは思わない。日本の穀倉地帯におけるセシウム137、プルトニウム239の累積量が今後調査されねばならない。セシウム137は筋肉に吸収されるので、問題ないという意見もある。しかし、それが体内に存在するかぎり、確実に放射能を出し続ける。健康に問題はないのであろうか。また、プルトニウム239は一度体内に吸収されれば、ほぼ死ぬまで放射能を出し続ける。健康に良いはずはない。まさに、人間は死ぬまで、それと共生しなければならない。

1

http://www.zamg.ac.at/aktuell/index.php?seite=1&artikel=ZAMG_2011-03-30GMT11:

http://www.dwd.de/ 

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思想史 1 近代の至高原理としての自由

思想史 1 近代の至高原理としての自由

1.

12頁

近代社会の至高原理とは何か。様々な政治的行為、社会的行為は、共同的自由を拡大するためになされる。この意味を現代日本の事例を用いて考えてみよう。たとえば、郵政民営化は自由な競争社会を樹立しようとし、整備新幹線網の拡大は、より移動の自由を増大させようとするであろう。その結果、在来線の廃止によって、移動の自由が阻害されることは確実であろう。新幹線網の確立は自由を実現するのであろうか、あるいはなかろうか。ここで問題になっているのは、自由一般を実現するための派生的自由あるいは自由の実現手段である。もちろん、自由は原理的に考察されるだけではなく、個々の具体的自由論においても展開されねばならない。

しかし、ここで取り扱う自由論は、このような派生的な自由論ではない。近代社会(die Moderne)そのものの原理を問題にする。この時代の派生原理ではなく、近代の本質のみを問題にする。

 近代の概念は、ヘーゲル哲学のコンテキストにおいて、概念論の水準ではなく、本質論の水準で考察される。「本質は、媒介的に定立された概念としての概念である。その諸規定は、本質において相関的であるにすぎず、また端的に自己のうちへと反省したものとして存在していない。したがって、概念はまだ対自存在ではない。本質は、自己自身の否定性を通じて、自己を自己へと媒介する存在であるから、他のものへと関係することによってのみ自己自身へと関係する」。[1]

2.

ここでは、近代社会を他の社会との比較によって考察してみよう。ある社会の本質は、他の別の社会と比較されることによって構想される。近代社会という時代とは異なる時代は無限に設定可能であろう。古代ゲルマン、古代ギリシャ、あるいはポスト・モデルネ(Post-Moderne)つまり近代以後の社会が想定されるであろう。しかし、今の社会が果たして近代以後の社会であるか否かは疑問である。現代は近代と総称されながらも、初期近代との位相差を明確にしながらも、同一性を維持している。

 また、どのような反対概念を設定するかによって、当該概念、ここでは近代概念に関する意味づけが変容する。もちろん、近代社会を前近代との比較によって構想する以外にもその方法は多様である。逆にいえば、それによって近代の本質も変化してくる。様々な反対概念のうち、いずれかを選択することによって、近代の本質も変化してくる。この観点すれば、本書において展開された近代の本質論も相関的なものでしかない。

3.

 近代社会は成功したか否かを問わず、その出自において暴力的革命を経験している。世界史的には17世紀後半のイングランド革命、18世紀後半のフランス革命、19世紀中葉のドイツ革命、日本革命としての明治維新、これらの革命は暴力的手段を用いて絶対主義君主制、身分制社会を破壊しようとした。また、これらの革命は社会的に承認されていた。近代社会は、その根底に暴力革命を伏在させている。

 初期近代は暴力革命への社会的承認があったが、後期近代において如何なる正当性があろうともその社会的承認力は喪失する。逆にいえば、その社会的承認力が喪失することによって、後期近代が始まる。

4.

13頁

 身分は社会的秩序として社会的承認を受けていた。これは、社会的秩序を含めた精神的秩序総体は、神によって形成されたものとして社会的に承認されていた。前近代社会は、神が絶対的なものとして、政治社会を統御していた。神は自然と人間を創造した。自然と人間から構成される社会も当然の事ながら、神によって統御されていた、と考えられていた。

 この思想は、村落共同体における教会という存在によって実体化されていた。生産力の低い段階における当時の村落において、10メートルを超える塔を持つ教会は、将に周辺地域を圧倒していた。土曜日には、教会周辺において市が立ち、日常品を購入できた。また、日曜日には、村落共同体構成員すべてが教会に集合して、神父様の説教を聞いた。この機会は、構成員の社交の場であり、共同体の重要なことが討議された。教会は宗教的機能だけではなく、政治的、社会的な機能を担っていた。また、出生証明等の管理も宗教施設が実施していた。行政的機能も果たしていた。


[1] ヘーゲル『小論理学 下巻 岩波文庫』9頁。

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世界を震撼させるストロンチウム90の検出――プルトニウム239、ストロンチウム90を含有する食品の摂取の可能性

20110416 世界を震撼させるストロンチウム90の検出――プルトニウム239、ストロンチウム90を含有する食品の摂取の可能性

『日本経済新聞』(2011412日)によれば、ストロンチウム90が、東京電力福島第一原子力発電所から30キロメートル以上離れた福島県内の土壌から検出された。 1 すでに、プルトニウム239は検出済みである。2

この二つの事実によって、東京電力福島第一原子力発電所における原子炉格納容器、あるいは原子炉圧力容器の少なくとも一部は、損傷していることになる。それは、多くの海外研究機関によって、報道済である。このプルトニウム239、ストロンチウム90は、人間の寿命をはるかに超えて存在し続ける。一度これらを体内に吸収すれば、生涯排出することはないであろう。この二つの自然界には存在しない物質と人間は、死ぬまで共生せざるをえない。もちろん、これらの物質が検出された土壌の回復はほぼ絶望的であろう。ストロンチウム90を容易に除去する科学物質は、現在の科学水準では想定されていない。

 しかし、これらの物質の検出は、地方自治体によって簡単にはできない。特殊な技術と機械を備えた研究所でしかできない。現在流通している食品、すなわち野菜、魚、肉、水等でのストロンチウム90等に関する検査体制は、どのようになっているのであろうか。

 消費者は、プルトニウム239及びストロンチウム90に関して検査済みという証明書を得ることはできない。できるかぎり、ヨウ素131あるいはセシウム137が検出されない食品を摂取するしかない。少なくとも、ヨウ素131、セシウム137が検出されない食品から、ストロンチウム90が検出されることは、ほぼ想定できないからである。

1.http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E0E2E5978DE3E0E2E6E0E2E3E39191E3E2E2E2

2.本ブログ  「世界を震撼させるプルトニウム検出」(2011329日)

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適度な政治学――完全性を目的にしない政治学――夢のエネルギーとしての原子力は、地上の楽園と同様に地上の地獄を招く。

20110415 適度な政治学――完全性を目的にしない政治学――夢のエネルギーとしての原子力は、地上の楽園と同様に地上の地獄を招く。

日本原子力研究開発機構広報部のホームページにおいて、「原子力・未来への挑戦~夢のエネルギーを実現するために」という文言を見出すことができる。1 そこでは、二酸化炭素排出量をゼロにした夢のエネルギーとしての原子力発電が推奨されている。所謂、原子力村のホームページであれば、このような文言をどこでも見出すことができよう。

ここでの問題点は、二酸化炭素排出量をゼロにした、あるいはゼロにしようとする意思である。確かにこの点において原子力に勝るエネルギーはない。火力発電所は石油あるいは石炭を燃焼させ、エネルギーを生産している。その限り、二酸化炭素を排出し、環境破壊を進めた。この環境破壊をゼロにしようとした原子力発電は、画期的であり、まさに人類の夢であった。

1960年代、金日成将軍によって支配されていた朝鮮民主主義人民共和国は、自己を地上の楽園と称していた。典拠を上げるまでもないであろう。その情報を信じて、多くの在日朝鮮人及びその日本人配偶者が朝鮮半島の北部へと渡っていった。その結果が無残であったことは、少なくとも現代日本においては周知のことである。

夢のエネルギーは、地上の楽園に対応している。後者において、私的所有は廃棄され、国家所有あるいは社会的所有へと転換された。私的所有に基づく差別は廃棄された。しかし、そこでは想像を絶する富の偏在が存在していた。朝鮮労働党に入党している人間と、そこから排除された人間との関係は、主と奴隷の関係を彷彿させるほど隔絶していた。まさに、地上の楽園は地上の地獄であった。

夢のエネルギーとしての原子力発電は、環境保護の観点から最高のものであった。しかし、原子力発電は制御不可能になれば、二酸化炭素を排出することはないが、セシウム137、プルトニウム239、ストロンチウム90等を環境に拡散させた。確かに、二酸化炭素の排出は環境に良いとは思わない。しかし、二酸化炭素はセシウム137、プルトニウム239、ストロンチウム90等に比べれば、はるかに環境に優しい。セシウム137、プルトニウム239、ストロンチウム90等を体内に吸収することは、体内被曝と同義である。

政治学において夢あるいは楽園という概念を持ち込むべきではない。もちろん、それを志向することは否定されない。しかし、それが実現されると仮定することは、さらなる悲劇を産出する。適度に環境を破壊する石油、石炭発電に対応する適当な政治学こそが求められている。すべての事象は、人間的理性によって制御できないことを前提にすべきである。

1.日本原子力研究開発機構広報部、第58号(2008516日)

http://www.jaea.go.jp/14/back/mg080516.html

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馬鹿役人と馬鹿学者の政治学――誤植の訂正しかしない原子力安全委員会の議論形式と、学術専門家の怠慢

20110414 馬鹿役人と馬鹿学者の政治学――誤植の訂正しかしない原子力安全委員会の議論形式と、学術専門家の怠慢

かつて本ブログにおいて「日本官僚制の問題点――いしいひさいち役人論(会議の無駄)」(2010227日)と題して、日本の官僚機構における会議の特徴を述べた。 1 この論説の中心点は、会議における議論が誤植の訂正と文章の若干の改変に終始して、本質的議論をしない日本の官僚制に対する批判である。落城の危機に際して、繁文縟礼を議論している重臣を揶揄した、いしいひさいち氏の4コマ漫画を援用しながら、この官僚制の問題を議論した。

この日本の会議形式に対する批判が、平成23325日に開催された第19回原子力安全委員会にまさに当てはまる。2  325日と言えば、314日における東京電力福島第一原子力発電所の第3号機の水素爆発を受けて、国家が危機的状況にあったときである。第2号機、第4号機も同様な危機的状況にあった。この東京電力福島第一原子力発電所の非常事態を受けて開催された原子力安全委員会は、たった42分程度で閉会している。しかも、PDFファイル12頁にわたる議事録の半分以上は、事務局によって作成された資料の読み上げに終わっている。その後の委員による議論の中心は、「『葉』になってございますけれども、これは平仮名の『は』でございます」、あるいは「平仮名の『に』を入れてください」(10頁)という文書の校正にある。

委員としての専門知識は要求されていない。誤植の訂正であれば、村役場の庶務課長のほうが、より適切な指示を出せるであろう。このような議論しかできない専門委員は、役場の庶務課長に転職したほうがよいであろう。もちろん、庶務課長ほどの文書校正能力を有しているとは思えないが。

このような繁文縟礼に通じた専門家しか、専門委員になれない現状がある。専門知識よりも管理職的能力に通じた専門家のみが、大学教授になり、そして政府の審議会委員に抜擢される。そこで求められる能力は事務局と協調する能力と文書作成能力でしかない。

専門委員には、事務局によって作成された資料を根源的に批判し、積極的な提言を求められているはずである。ここでの議論は、専門知識を要求されない事務局職員以下の水準にある。逆に言えば、このような専門家は、官僚機構にとって統御し易い人間である。自分たちを批判しない人間のみが、「専門家」として認知される。学術的専門家と官僚機構の癒着が生じる。

彼らはこれまでいつもこのような議論形式に慣れてきたはずである。このような議論しかできない。それゆえ、彼らは「専門家」として認知された。国家の危機に際しても、このようにしか議論できない。

1.  http://izl.moe-nifty.com/tamura/2010/02/index.html

2.  http://www.nsc.go.jp/anzen/soki/soki2011/genan_so19.pdf

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東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染に関する日本における食品安全基準の曖昧化――暫定的基準の曖昧性による風評被害の拡大――暫定的基準の廃棄ならびに国際基準への復帰

20110413 東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染に関する日本における食品安全基準の曖昧化――暫定的基準の曖昧性による風評被害の拡大――暫定的基準の廃棄ならびに国際基準への復帰

食品(牛乳等)における2011317日以前の放射能基準は、セシウム13710ベクレル/1Kg、ヨウ素13110ベクレル/1Kgであった。 1 しかし、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の314日、15日の第1号機、第3号機等の大爆発事故を受けて、317日以降から食品(牛乳等)の暫定的放射能基準は、セシウム137200ベクレル/1Kg、ヨウ素131300ベクレル/1Kgになった。 2 実に20-30倍に暫定基準値は引き上げられた。それに伴い野菜、魚等におけるヨウ素131の含有量も、基準値;100ベクレル/1Kgから、暫定基準値;2000ベクレル/1Kgに引き上げられた。

 

このような暫定基準値の曖昧化は、従来から踏襲されていた基準値の意味と有効性を破壊している。少なくとも、国際的基準が設定された意味を破壊している。そして、国民の多くがこのような暫定基準と国際的基準との乖離を知ることになった。これでは、暫定的基準に対する国民の信頼性は、乏しい。ある食品が暫定的基準値以下であるという政府発表に対して、多くの国民は疑心暗鬼に陥らざるえない。暫定基準値以下でも、国際的基準値を超えているのではないか、という疑念である。このような2重基準があるかぎり、食品の安全に対する風評被害を根絶することはできない。

1http://whqlibdoc.who.int/publications/2004/9241546387_jpn.pdf

203-204ペ―ジ)

2. http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e-img/2r9852000001559v.pdf

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ドイツ、フランス、オーストリア、イギリス、ノルウエーにおける気象庁、国家機関等からの東京電力福島第一原発に関する放射性物質拡散予想

ドイツ、フランス、オーストリア、イギリス、ノルウエーにおける気象庁、国家機関等からの東京電力福島第一原発に関する放射性物質拡散予想

1.   オーストリア国立気象学・地球力学中央研究所(ZAMG

http://www.zamg.ac.at/

(基礎情報、並びにその電算処理において現在でもっとも、信頼している情報源のひとつである。)

2, ドイツ気象庁(DWD)

http://www.dwd.de/ 

3. フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)

http://www.irsn.fr/FR/Documents/home.htm

3. 1 フランス気象局

http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/irsn-meteo-france_19mars.aspx

4. Weather Online 社(ロンドンにある気象予報会社)

http://www.weatheronline.co.uk/weather/news/fukushima?LANG=en&VAR=zamg

(基礎的情報は、1. ZAMG  に依存している。その電算処理による視覚情報的観点から優れている)。

5. ノルウエー気象庁

http://transport.nilu.no/products/browser/fpv_fuku?fpp=conc_Xe-133_0_;region=Japan

(視覚情報的観点から優れている)

(ヨウ素131、セシウム137だけではなく、キセノン133 の拡散予想が掲載されており、有益である)。

なお、本記事は330日の記事に加筆したものである。

3月12日-23日の放射能の移動が明瞭である。福島県だけではなく、茨城県、千葉県、東京都において15日前後に大量の放射性物質が拡散している。この前後の放射能が大気中だけではなく、土壌、水に付着している。

http://www.irsn.fr/FR/Documents/home.htm

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食品放射能濃度の暫定基準のいかがわしさーーシンガポール政府による日本の野菜輸入拒否

シンガポール政府による日本の野菜輸入拒否

時事通信社(201144日)によれば、兵庫県産のキャベツが国際基準に従って、シンガポール政府から輸入拒否された。1 セシウム137、ヨウ素131とも国内暫定基準(317日付)の基準からすれば、問題ない。基準値は2000ベクレル/キロである。しかし、国際的基準からすれば、基準値100ベクレル/キロ抵触し、健康に問題があるとされた。

 我々日本人は、国際基準からすれば、大いに健康に問題がある野菜、魚を食べざるを得ない。しかも、我々は316日以前では、このような国際基準に従った食生活を送っていたはずである。

 そもそも、基準値を暫定とは言え、20倍も変更することは常識的判断からすれば、いかがわしいとみなさざるをえない。それでは、以前の基準及び国際基準はどのような根拠から基礎づけられているのか。国際基準は無視すべき基準であろうか。

 この問題は、さらに大いなる危機を表現している。比較的安全とされてきた大阪以西の植物、空気がすでに汚染されている。動物、家畜の汚染も時間の問題であろう。日本の食生活自体の破壊が進行している。兵庫の野菜を食べることが、国際的基準からすれば健康に問題ありとすれば、我々はどのような野菜を食べることができるのか。

1, http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110404-00000123-jij-int

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日本気象庁のセシウム等の拡散予想ーー情報の隠蔽と風評被害

 文部科学省は遅ればせながら、有害放射性物質、セシウム137、ヨウ素131等の拡散をSPPPEEDIとして掲載するようになった。 1 3月23日以降の話である。それは、河野太郎衆議院議員等の働きかけの結果であろう。もし、自民党の政治家、あるいは政府の審議会委員等が黙っていれば、別の結果をもたらしたに違いないであろう。

 しかし、公開する時期が遅れたことは確かであろう。3月14日以降の数日間というもっとも危機的な時期において、この情報を国民は、自国政府、自国機関からではなく、ドイツ気象庁、フランス気象庁から得ざるをえなかった。少なくとも、日本気象庁は、他国の気象庁と比べて、詳細な気象情報を保持している。放射性物質の移動は、山岳の位置、その距離だけで決まるのではない。海流の温度、方向、強さ等によってもかなり違ってくる。ドイツ気象庁の予想の外れも、かなりあった。日本の自然条件に関する細やかな情報に乏しかったからである。

 この間、国民は、異なる国の様々な気象予報に驚きながら、不安になっていた。この不安の現象形式が風評被害であった。政府がこのような情報の隠蔽を行うかぎり、安心した復興などという言説は、その妥当性を消滅させるであろう。

 さらに、このコンピューターシステムは、体系化そして視覚的情報として数日後の拡散データーを予測できたにもかかわず、それを提示しなかった。おそらく、風評被害が拡散することをおそれたのであろう。現実に放射性物質が拡散しているにもかかわらず、情報の拡散を恐れた。

1.http://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/index0301.html

 

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