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宗教国家としての戦前の日本国家ーー後期近代におけるその消滅

 遅れてきた近代革命である日本革命、明治維新において、形式上は古代国家的な王政復古、つまり天皇親政という宗教的形式を伴っていた。神の国の実現という形式のもとで近代革命が遂行された。この宗教国家は社会的、政治的に必然であった。天皇制の基礎にあった神社信仰は、国民の生活に基礎づけられていた。抽象的な天皇崇拝は、生活上の神社信仰において具現化されていた。

 戦前の日本における神社は農耕上の祭祀の中心であっただけではなく、政治、社会的な公共的連帯を実現する場所であった。また、個人史における様々なイニシエーション、つまり誕生の際の初宮参り、乳児から幼児への移行を示す七五三、結婚等の際の儀式の中心的役割を担っていた。村落共同体における宮司は、直接的に氏子である農民と関係していた。

国民生活の基礎にあった神道という宗教的体系の頂点が天皇と関連していた。様々の神の頂点に位置している神は、天照大神である。天照大神の子孫である天皇は、その神社信仰と重複された形で存立していた。初代天皇たる神武天皇は、神である天照大神(アマテラスオオミカミ)の6代目の子孫である。もちろん、これは『古事記』、『日本書紀』に基づく神話的世界に属している。神武天皇は、神と人間との橋渡しをなし、神ではない初代の人間の天皇である。天皇はこの神武天皇の子孫であるという神話のもとで、天皇たりえた。

このような神話は、初期近代(主として明治、大正時代)が一種の宗教国家であったことを示している。この神話は戦前の高揚期を除いて、後期近代において消滅している。この神話が成立するための神社信仰は、後期近代においてはほぼ消滅している。それは、観光名所としての神社への小旅行として残存しているだけである。

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