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現代社会における職業の貴賤

 

 現代社会にも通じる職業における貴賤の問題を考察してみよう。ルターの宗教改革によって、少なくとも宗教的世界において貴賤はないことになる。万人が司祭であるかぎり、尊い職業としての司祭の特権性は剥奪されている。神との関係性において、貴賤はない。しかし、牧師という職業的に神に従事する人間が、神と一般信徒を媒介にする。理念上、解体したはずの人間に対する位階的秩序が現実化される。ここでは、貴賤が復活する。

 現代社会において、理念上、職業における貴賤はない。労働賃金、収入等における格差はあるが、職業上の貴賤につながることはない。神との関係における遠近は、この貴賤の射程から外れている。

 しかし、特定の産業に従事する者は社会的に差別されている。たとえ、それが合法的な職業であっても、前近代社会から連綿と継続している差別意識は存在している。収入格差ではない別の位階的な秩序意識が作用している。少なくとも、公的な意識的圏域ではなく、私的な領域においてこの意識は残存している。たとえば、それは風俗産業労働者にも妥当する。この点に関して、2006426日 のブログ「政治家とキャバクラ労働者ーー千葉7区補選」を参照のこと。ここでは、太田和美氏(民主党)の経歴における風俗産業労働者が選挙戦において問題になった。

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