« 2010年2月 | トップページ | 2010年6月 »

現代社会における職業の貴賤

 

 現代社会にも通じる職業における貴賤の問題を考察してみよう。ルターの宗教改革によって、少なくとも宗教的世界において貴賤はないことになる。万人が司祭であるかぎり、尊い職業としての司祭の特権性は剥奪されている。神との関係性において、貴賤はない。しかし、牧師という職業的に神に従事する人間が、神と一般信徒を媒介にする。理念上、解体したはずの人間に対する位階的秩序が現実化される。ここでは、貴賤が復活する。

 現代社会において、理念上、職業における貴賤はない。労働賃金、収入等における格差はあるが、職業上の貴賤につながることはない。神との関係における遠近は、この貴賤の射程から外れている。

 しかし、特定の産業に従事する者は社会的に差別されている。たとえ、それが合法的な職業であっても、前近代社会から連綿と継続している差別意識は存在している。収入格差ではない別の位階的な秩序意識が作用している。少なくとも、公的な意識的圏域ではなく、私的な領域においてこの意識は残存している。たとえば、それは風俗産業労働者にも妥当する。この点に関して、2006426日 のブログ「政治家とキャバクラ労働者ーー千葉7区補選」を参照のこと。ここでは、太田和美氏(民主党)の経歴における風俗産業労働者が選挙戦において問題になった。

|

コメントの終了の確定ー官僚制論(いしいひさいち)、多数決原理(いしいひさいち)と自由論(風間やんわり)のブログ

 5月12日をもって、「いしいひさいち 多数決論」(2006年9月20日)、「いしいひさいち 官僚制論」(2010年2月24日)、「風間やんわり 個人的自由論」(2010年5月2日)に対するコメントを締め切りました。本日以後のコメントは反映されません。削除されます。御了承のほどお願いします。

 コメントをいただいた方に感謝します。

 この三つの記事は、漫画でもって、ある思想を表現しています。奮ってそれまでにコメントをお願いします。どの記事で結構です。

|

« 2010年2月 | トップページ | 2010年6月 »