原理主義ーーその敗北の必然性
21世紀現在、問題になっている原理主義の思想は、イスラム原理主義、キリスト教原理主義等の宗教的原理主義として著名である。オウム真理教(現アレフ)もまた、宗教的原理主義の一種であろう。
彼らは、後期近代において支配的な宗教、イスラム教スンニー派、シーア派、プロテスタント教会、カトリック教会から異端視され、攻撃の対象になることは当然であろう。原理主義集団における神学は、神学における特定の領域の先鋭化であり、他の構成要素と矛盾する。原理主義集団による反社会的行為は、既成宗教団体における社会的な高い地位と矛盾するからである。このような原理主義一般は通説によれば、退行主義あるいは復古主義とみなされている。
しかし、原理主義は後期近代において出現した典型的思想である。後期近代において大部分の思想は、思想としての実践性を放棄している。その現実化は前提にされていない。思想は同時代における他の思想、あるいは先行する思想に対する異化でしかない。その背景には、思想が世界全体の総体的把握を放棄していることがある。有限な人間理性が自然を含む世界総体を把握することは不可能であるからだ。初期近代における世界総体を把握する思想、あるいは世界総体をある原理、実体に還元する大陸合理論は、後期近代において荒唐無稽なものとして嘲笑の対象になる。
しかし、すべての思想がこのような世界総体の把握の不可能性、あるいは人間理性の有限性に立脚しているのではない。逆に、その有限性ゆえに、世界総体の把握を目指そうとする。それが、後期近代における原理主義である。後期近代において、人間は原子化され、流動化されている。そこでは、人間の自然的属性に基づく共同性は崩壊している。人間の人種、出身、家柄等に由来する共同性は、機能的な人間間の結合のまえに崩壊している。そのときどきのシステムの有用性に基づいて、諸個人の能力に応じて個人は差異化される。しかし、すべての人間はこのシステム的な有用性に満足しているわけではない。