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専門馬鹿と官僚制

 専門馬鹿という言葉が数十年前、つまり初期近代から後期近代への移行期において流行した。それは、主として社会反乱が学生層、青年層を中心としていたがゆえに、批判の矛先は支配階級だけではなく、大学教授に向かっていた。この批判は、大学教授の性格づけとしてはほぼ妥当している。多くの教授が専門家であろうとすれば、一般教養は放棄せざるを得ないからだ。専門家として成功しながら、一般教養においても秀でている教授はまれであったし、現在もまれである。多くは偏狭であり、偏屈である。しかし、この言葉は教授に対する称賛の言葉でもある。専門的知識人である証拠だからだ。そして、教授が少なくとも大学から出ないかぎり、社会的な害悪をもたらすことはほとんどない。

 しかし、この専門馬鹿が、官僚機構に属するすべての人にあてはまるならば、問題は国民生活全般に係わってくる。法律、条例を実質的に作成し、その運用にあたる人間が、専門馬鹿であれば、その社会は死滅する。官僚、役人がすべてその自己の狭い仕事範囲の事柄しか熟知せず、全体的利益を考慮しないで政策決定をなし、それを運用するかぎり、社会が崩壊する。現在、民主党、そして自民党も官僚政治打倒と叫んでいるのは、官僚の狭い視野では、全体的利益が考慮されないからだ。もちろん、政治家にその能力があるか否かは疑問であるが・・・・。

 問題はこの専門馬鹿であればあるほど出世という機制が官僚機構に存在していることである。与えられた仕事以外の観点、あるいは自己の所属する部署への不利益を考慮する役人がいたとしよう。彼は上司から排除され、同僚からいじめられるであろう。まず、出世はあきらめたほうがよさそうであろう。

 たとえば、「高速道路1000円均一」という政策を見てみよう。それによって、高速道路を利用した需要が喚起されるという側面がある。しかし、高速道路へと交通がシフトすることによって、公共交通はますます衰退する。とりわけ、廃止が常に議論の対象になっている地方鉄道、地方海上輸送は壊滅的な打撃をうけるであろう。もちろん、高速道路無料化という政策は、それらに壊滅的打撃を与えるだけではなく、息の音をとめることになろう。この政策を国土交通省大臣が推進することによって、公共交通という社会的基盤を破壊している。彼らが考察の対象にしているのは、高速道路だけでしかない。それだけから考察するえば「理性的」な政策判断であろう。しかし、地方公共交通の破壊という観点、あるいは地方破壊という観点からすれば、別の視角が必要であった。

 もちろん、官僚が地方破壊を目的にしているのであれば、また別の文脈が必要である。官僚機構の上層部は必ずしも専門馬鹿でないからだ。しかし、この真の目的が公共的議論領域に現象することは、少なくとも近未来的には無理であろう。

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