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大学教員は「象牙の塔」へ帰れ?

 大学教員の世界において現在、「地域貢献」が叫ばれている。しかし、地域貢献が社会貢献、せいぜい日本社会の水準で考察されるかぎり、それは正当なものかもしれない。御用学者は別として、中央政府の審議会委員になることによって、その学問的見地から有益な情報をえることもあるからだ。

 しかし、地方政治に関与することは、その学問的成果を十全に還元できるのであろうか。地方自治を専攻している学者を除外すれば、疑わしいものになろう。統計学、確率論を学んだ学者からすれば、現実の身近な政策決定過程に参加することはその学問的良心からすれば、痛ましい結果になろう。現実の政策決定過程はそのような学問的成果を無視して、たとえば他の市町村がやっているからという横並び意識から決定される場合も多い。そこでは彼が生涯を賭けて学んできた確率論、統計学の基礎知識すら無視される。確率論からすれば、明らかに破滅へと進むことがほぼ確実にもかかわらず、その政策へと関与しなければならない。

 その審議会でどのように正論を吐こうとも、ミクロ的合理性にしか興味のない人間にとって、彼の統計学の基礎知識は余計である。ミクロ的合理性追求の学者にとって、専門外の統計学の議論は、他の素人同様に余計なものである。あるいは、前例第一主義の人間にとって、彼の統計理論はわからないはずである。耳を傾けようともしない。彼の発言の前に、根回しはすでに終了しているからだ。

 抽象的、歴史的水準を別にして、具体的水準において政策決定過程に学者が動員されることは慎まねばならない。もっとも象牙の塔などはどこにもない。帰るべき場所は、研究対象への没頭することだけかもしれない。

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