日常生活に関する思想史的考察
哲学あるいは思想という学問が実生活において役に立たないという非難がある。しかし、あることを根源的に考えるという意味において哲学的思考、あるいは思想史的思考は役に立つこともある。もちろん、役に立たない場合も多いが・・・。
その一例として「君を幸せにする」という命題を考察してみよう。よくテレビドラマで結婚を前提にしている若い男女がこのセリフを口にする。たいていの場合、このセリフを男がしゃべることは、いわゆるフェミニズムと関連している。この問題を除外しても、以下のような問題がある。
1、他者がなぜ私の幸福に関与するのか。幸福、あるいは幸福感は個人的領域に属する。なぜ、他者である男(女でもよい)が、私の幸福に関して絶対的力を持つのか。傲慢ではないのか。
2、幸福という観念は多岐に渡る。そこでは、どのような事態が幸福であろうか。3DKの公団住宅に住むことであるのか、4畳半のアパートに住むことなのか。住宅問題を例にとっても必ずしも一義的ではない。あるいは、物質的事態だけではなく、精神的事柄とも関係する。
3、時間という観念が重要である。もし、幸福観念で両者が一致しても、いつまでであろうか。生涯に渡って?そのような数十年後の未来を予想することが可能であろうか。あるいは、今夜だけのことであろうか。そのことを両者が確かめることはない。
4、もし、この命題をテレビドラマ風に解釈したとしても、それが成就されない場合、どのような保障があるのであろうか。この約束が履行されない場合どのような対価が用意されているのであろうか。
ざっと考えてもこのような疑問が生じる。しかし、この言葉が発せさられる状況下においてどれほど人間がこのようなことを考えるであろうか。否、このようなことを考えもしないであろう。人間が理性を喪失し、感情に基づいて行動しないかぎり、第一歩を始めることはできないであろうから。人間理性は脆いものである。しかし、理性を喪失した場合のほうが良い結果をもたらすと言ってもよいかもかもしれない。保障のかぎりではないが・・・。
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- 日常生活に関する思想史的考察(2008.06.05)
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コメント
つるみ様、興味深いコメントありがとうございます。参考にさせていただきます。
怪しいとおもいます。しかし、この怪しさにふれながらも、それを信仰してしまうこともあります。その点を考えています。
今後とも宜しくお願いします。
投稿: ichiro | 2008年6月24日 (火) 22時33分
「君を幸せにする」とは、何だか怪しく匂うセリフだ。
そのセリフには、リアリティが感じられない。
何の根拠をもってして、発する事のできるセリフなのだろうか。疑問だ。セリフを発した人間だけが幸せだと感じ、そしてその相手は、不幸だ・幸せではない、という結果になってしまったら、一体どうしてくれるのか!だから、怪しく感じる。しかし実際に、もし自分が、このセリフを言われたら、その瞬間に何を思うだろう。理性的に考えられるのだろうか。
単純に「嬉しい!」と思ってしまうかもしれない。冒頭に記した私の思いと、「嬉しい!」と思ってしまうかも?という思い。両者の意味は全く逆である。だから、怪しいと感じる。
まとまりのないコメントで、すみません。
投稿: つるみ | 2008年6月20日 (金) 23時36分