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日常生活に関する思想史的考察

 哲学あるいは思想という学問が実生活において役に立たないという非難がある。しかし、あることを根源的に考えるという意味において哲学的思考、あるいは思想史的思考は役に立つこともある。もちろん、役に立たない場合も多いが・・・。

 その一例として「君を幸せにする」という命題を考察してみよう。よくテレビドラマで結婚を前提にしている若い男女がこのセリフを口にする。たいていの場合、このセリフを男がしゃべることは、いわゆるフェミニズムと関連している。この問題を除外しても、以下のような問題がある。

1、他者がなぜ私の幸福に関与するのか。幸福、あるいは幸福感は個人的領域に属する。なぜ、他者である男(女でもよい)が、私の幸福に関して絶対的力を持つのか。傲慢ではないのか。

2、幸福という観念は多岐に渡る。そこでは、どのような事態が幸福であろうか。3DKの公団住宅に住むことであるのか、4畳半のアパートに住むことなのか。住宅問題を例にとっても必ずしも一義的ではない。あるいは、物質的事態だけではなく、精神的事柄とも関係する。

3、時間という観念が重要である。もし、幸福観念で両者が一致しても、いつまでであろうか。生涯に渡って?そのような数十年後の未来を予想することが可能であろうか。あるいは、今夜だけのことであろうか。そのことを両者が確かめることはない。

4、もし、この命題をテレビドラマ風に解釈したとしても、それが成就されない場合、どのような保障があるのであろうか。この約束が履行されない場合どのような対価が用意されているのであろうか。

 ざっと考えてもこのような疑問が生じる。しかし、この言葉が発せさられる状況下においてどれほど人間がこのようなことを考えるであろうか。否、このようなことを考えもしないであろう。人間が理性を喪失し、感情に基づいて行動しないかぎり、第一歩を始めることはできないであろうから。人間理性は脆いものである。しかし、理性を喪失した場合のほうが良い結果をもたらすと言ってもよいかもかもしれない。保障のかぎりではないが・・・。

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タスポの馬鹿――JTも馬鹿

 タスポが未成年のたばこ購入を抑制するために導入された。この目的は誰もが反対できない。子供の喫煙を奨励することはできないからだ。しかし、この正義は別の側面を持っている。すなわち、個人商店の壊滅化である。近年、コンビニエンスストアー、スーパーマーケット等のチェーン店が個人商店の経営を圧迫している。本屋、八百屋、魚屋、煙草屋といった個人商店に関して、閉店の話はよく聞くが、開店の話などは聞いたことがない。新規参入しようとしても、巨大資本による寡占的状況を打破するだけの技術、販売技法を持った個人はほとんど存在しないからだ。

 この個人商店壊滅の一端を担っているのが、タスポである。この導入によって、個人商店は風前の灯になった。PTA的正義を振りかざすことによって、個人商店の経営が悪化することは、事前に承知していたはずである。巨大資本が地方の個人商店を壊滅させる手段として、これが導入された。もちろん、これは目的ではなく、結果であるという詭弁は承知である。現在の商品戦略を担う優秀な商品市場研究者は、このような結果は事前に承知しているし、していなかったとすればそれは自分の技能の低さを表明しているにすぎない。

 JTはこの事態をどのように説明するのであろうか。どれほど、このタスポ導入に反対したのであろうか。あるいは、JTからすれば、販売総数が落ちなければ問題ないーーコンビニに購入しようが、個人商店で購入しようが関係ないーーとすれば、それは自分の首を絞めることにつながるであろう。文化としての喫煙を自ら否定しているからだ。

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