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コメントの禁止

 12月16、17、18日の記事に関するコメントは現在受け付けられていません。この3つの記事に関するコメントは現在削除されます。今少しお待ちください。1月8日以降、指示します。

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裁判員と後期近代

裁判員制度

 本邦において、司法過程に対して市民が参加するという制度が法的に要請されている。この論拠に対する基礎づけの方向は多様である。

 この問題は、初期近代において広義の政治参加、市民参加のコンテキストにおいて把握してみよう。行政機構としての司法過程に対する市民参加という観点から、この問題を考察してみよう。市民参加が善であり、参加する市民の理性性が前提にされている。はたして、参加する市民は理性的判断を下すことが理念上求められている。市民の理性が何らかの留保なくして前提にされていた初期近代の議論に基づいている。

 しかし、後期近代においてこの権利としての司法過程は、義務に転化する。この意味に対する討論を期待する。できれば、2,000字ほどの討論論稿を期待している。投稿期日等に関する詳細についてはのちに提示する。来月中旬を考えている。

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福祉の充実と社会的負の副作用

 福祉の充実が叫ばれている。しかし、福祉の充実はその負の副作用を持っている。たとえば、生活保護費の削減が叫ばれてる。しかし、生活保護費が最低賃金よりも豊かである場合、労働意欲の減退につながるであろう。仮に、生活保護費が月30万円を越えれば、労働者の負担は大きくなるであろう。この点に関するコメントを募集する。募集する日時はのちに記述するが、1月中旬を考えている。

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企画部と全体知

地方自治 8 企画部と全体知

1.

 著名な映画『生きる』(黒澤明監督、志村喬主演)においても、公園にブランコを作るという市民のささやか願いと自治体における部局の独立性の矛盾が描かれている。市民がその願いを持って市役所を訪れたとき、それぞれの部局の窓口はその願いを他の部局に回し、自分の部局では取上げようとしない。所謂、盥回しである。志村喬もまた、その部局における定年間近の末端の管理職であった。彼は自分に命令された事柄以外のことを進んでやろうとはしない。新たな仕事は別の部局に回す。他の部局も同様である。ところが、自己が末期癌に侵されていることを自覚したとき、この老管理職は、それぞれの部局を調整しながら歩く。公園にブランコを作るために。映画では公園に作られたブランコに乗りながら、生命の最期を迎える。「命短し、恋せ、乙女よ」という歌を口ずさみながら。

 

2.

このような老管理職の役割、部局の独立性を打破して、総合的観点からある政策を実行するための機関として、地方自治体において企画部、あるいは企画調整部という部局が、前世紀後半から出現してきた。それは、中央政府における内閣府の存立意義と相似している。それが形成された理由は、中央政府だけではなく、自治体においても各部局が独立してその利益を主張することにある。省益に対応する部局の利害が貫徹している。この独立性を廃して、重要な政策を実現するための機関として、企画部が創設された。

ここでの問題点は、何がその自治体における最重要事項なのかを判断することが可能か否かである。近代社会思想史において、否定された全体知が要請されている。果たして、そのことは可能であろうか。この問題が企画部の存在様式において問われているのであろう。

3.

  本ブログでは、読者が企画部長になったら、という設定のもとでコメントを募集します。コメント送信は特定の日のみになります。時期は1月上旬を設定しています。詳細はのちに記述します。

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締切 3丁目の夕日

  3丁目の夕日に関するコメントは締め切っております。締切前に送信したという確実性がないかぎり、公開できません。ご了承のほど、お願いします。送られてきたものは、削除します。

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3丁目の夕日

 この映画に対する多数のコメントをいただきました。感謝します。若干の個人情報(本名、職場名等)は削除してあります。ご了承のほどお願いします。本日をもって、このコメント欄への投稿を締め切ります(本日分までは有効です)。これ以後の投稿はご遠慮ください。

 ところで、家族を含めて共同体における個人化、つまり共同性の希薄化が進行しています。それが、後期近代という時代でしょう。この時代における共同性は、著しく機能主義化を進展させます。そして、ノスタルジーではなく、今どのような共同性を構築できるのか、それを考えています。家族ですら、解体までの練習期間でしかありません。

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