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裁判員制度への基礎づけ

裁判員制度

 本邦において、司法過程に対して市民が参加するという制度が、法的に要請されている。この論拠に対する基礎づけの方向は多様である。ここでは、19世紀中葉のドイツの思想家、カール・ナウヴェルクの議論を紹介しよう。「同様の観点から、ナウヴェルクは司法官僚に対する国民による統制という問題を提起する。議会内自由主義者によって提起された司法改革案によれば、自治体の調停裁判所の裁判官は司法官僚からだけではなく、自治体の構成員からも選抜されるべきである。議会内多数派はこの市民参加型の裁判制度を、市民間の民事上の紛争を取り扱う第一審に限定していた。これに対してナウヴェルクは、この市民参加型の裁判制度をすべての裁判、つまり民事、刑事を問わず全審級の裁判に例外なく適用することを求めている。このような提案には市民武装と同様の観点から、国民自身による司法過程への参加という思想が含まれていた。この思想によれば、市民から選抜された参審裁判官の理性的判断が、司法官僚のそれよりも健全であり、より正確に国民精神における法と正義を発見することができるであろう。国民自身による国家への参加が、司法過程にも適用されるべきである。官僚制度は軍事的部門であれ、司法的部門であれ、国民の現実的な生活意識から乖離し、それを抑圧する。国民自身が司法過程に参加することによって、この乖離を減少させることができる。」(本書、128頁)

 この議論は、専門家つまり司法官僚の理性に対する市民的理性の優位を問題にしている。もちろん、知識と経験は司法官僚のほうが、格段にある。本邦において司法試験合格者、つまり法曹への社会的敬意の度合は、並の公務員の比ではない。その給与体系をみれば、数倍の違いがある。しかし、彼らがエリートであるがゆえに、国民の一般的理性から乖離していることは否めない。

 もちろん、本邦におけるこの制度がナウヴェルクの議論に由来しているということはない。おそらく、本法律を作成した根拠は別にある。しかし、カール・ナウヴェルクの議論も結果として、本制度を基礎づけることという観点からは同一である。

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