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近代の抽象的人間あるいは抽象性

 

具体的人間は、様々な差異を持っている。性、収入、年齢、遺伝子等すべての観点から、同一の人間は存在しない。にもかかわらず、なぜ抽象的人間という範疇を設定できるのか。近代はなぜ抽象的人間という概念を設定したのか。自由という概念を設定可能であるためには、抽象的人間という概念を設定できなければならない。差異を持った具体的人間を同一の自由な主体として取り扱うことができる。この抽象性は近代を特徴づけている。貨幣もまたすべての使用価値を捨象した抽象的概念である。また、近代的実体も前近代的な具体的実体概念を捨象した抽象的概念として設定されている。近代は具体性を捨象しようとする傾向がある。

この抽象的人間という概念は、前近代社会においても神の前の平等な主体として設定されていた。しかし、近代において人間共同体における抽象的人間は、神ということを前提にしない。自然的存在、自然的衝動を持った人間との対比において抽象的人間という概念が設定される。この抽象的人間という構成原理が、自由、平等、連帯という近代を規定する思想を形成した。たとえば、隣の具体的人間が困窮していたとしても、全ての隣人がその困窮している人間に対して、連帯の精神を発揮しようとは考えない。しかし、その具体性を捨象した抽象的人間として連帯であれば、たとえば生活保護という制度を媒介にして事実上していることになる。

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不偏不党と、新聞の言論機能

 新聞が言論機能を保持していることは明白であろう。単に報道機能しか有しないテレビ等とはこの点において異なっている。しかし、言論機能、すなわち現状に対して政治的、社会的批判を行使し、それに代わる何かを提示することは、特定の党派的利益を擁護することにつながるであろう。それが意図的ではないしろ、不偏不党ではありえない。

 しかし、朝日新聞も含めてこれまでのマス・メディアの多くは不偏不党を社是、社の大方針と掲げている。社会の木鐸を自称するのであれば、言論機関としてしか自己を提示できない。にもかかわず、不偏不党を掲げることは自己矛盾的であろう。

 この点に関する討論会を企画したい。

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福祉の充実がその基礎を破壊する

 福祉の充実が叫ばれてる。このことに対して自民党から共産党までの多くの政党が異議をとなえることはほとんどない。しかし、福祉の充実は先日のブログと執筆しように、国家財政の肥大化をもたらす。つまり、歳入が同一であると仮定するならば、国債つまり国家の借金を増大させる試みの一つである。国債は将来の子孫にその代償を押し付けることでしかない。それ以外の選択肢は、増税を求めているにすぎない。

 さらに、社会福祉の充実は、福祉そのものの基盤を掘り崩す。福祉、つまり福祉国家の増大は、社会福祉そのものの基盤である連帯という思想を破壊することにつながる。社会福祉は連帯という思想に基づいている。この連帯という思想は、日常用語に変換すれば、憐れみの感情、惻隠の情である。何か困窮の立場にある人間に対する感情である。この人間の本源的感情を社会福祉の充実が掘り崩す。社会福祉はその実施主体が国家であるかぎり、その国家への依存を強化する。困窮にある人を見れば、援助するのではなく、国家へと引き渡す。感情そのものに依拠するのではないかぎり、結果的にはよい方向性を示しているのかもしれないが、感情そのものを破壊する。

 

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