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落城寸前の御前会議における漢字変換ミスの指摘

 日本的会議の特質は、どうでもよいことに反応し、大事なことに反応しないことであろう。会議は、会議に参加する構成員にとって重要なことを討論する舞台である。しかし、往々にして、些細なことの過剰反応して多くの時間を費やす。1時間の会議で、文章の間違いを30分以上話し合った会議があった。「阻害」という漢字をしようするのか、「疎外」を用いるのか、ということが論点であった。馬鹿ではないかと多くの参加者は考えていたが、うんざりしながら、聞いていた。もちろん、漢字の使用法、あるいは句読点の一字によって、法解釈そのものが180度変わることは承知している。しかし、変換ミスが明らかである場合でさえも、糾弾の対象になる。

 それに対して、重要なことにはほとんど反応しない。たとえば、多くの大学で「教員任期制」を導入するにあたって、すくなくとも私が参加した大学の会議では議論の対象になったことはない。任期制とは、簡単に言えば首切りである。そのような重大な問題に対しては議論せず、漢字の変換ミスには過剰に反応する。「木を見て森を見ず」、あるいはかつてのブログに書いたような「落城寸前の御前会議における文書日付」のような事態が進行している。このような馬鹿が多く存在する会社、あるいは組織はつぶれてよいのであろうか。ただ、このような会議に参加する構成員は、それでも落城を阻止するために、獅子奮迅の活躍をしなければならないのであろうか。そして他の構成員から次のように言われるに違いない。「勝手にやって。会議では承認されていない」と。

 漢字の変換ミス、あるいは改行の是非しか議論できない組織には、見切りをつけるべきであろうか。思案している。

 

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