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子供の生産ーー言葉狩り、あるいは言葉尻

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070208ia21.htm

 読売新聞によれば、公明党は民主党管氏の「子供の生産性」を非難する言葉狩りをしている。先に、自民党幹事長も言葉狩りをするな、と言う言説を吐いたにもかかわらず、現実には言葉狩りをしている。ここでの、与党の不一致に言及することはしない。与党が一方では、言葉狩りをするなと言い、他方で言葉狩りをするというパッチポンプは常套手段であるからだ。

 言葉の意味を知らずに、さも問題であるかのような言説でもって他者を非難していることが滑稽である。生産は単なる物質的生産だけではなく、生命の生産=産出を意味している。このコンテキストにおいて使用することは問題ない。にもかかわず、この発言をした管氏を不適切な発言として非難している。管氏もはっきりいうべきだ。「子供の生産」は尊い行為であると。

 もっとも、言葉狩りを仕掛けたのは、野党であるが・・・。何が問題であるのか、差別であろうか。差別用語狩りも1970年代から流行している。その影響かもしれない。つまらない言葉尻を捕らえて、非難する輩の品性のなさばかりが目立つ。はっきり言って、品がない。

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人間の生産ーー管直人の擁護

 

 管直人が生殖行為を人間的生産として述べたことに対して、批判が集中している。このような言葉狩りは、自民党幹事長の言うように無益なことである。言葉狩りが言語に対する過剰な検閲的機能を発揮するからだ。

 しかし、「人間の生産」、あるいは「生命の生産」という概念は19世紀西欧における古典的社会学、経済学では一般常識に属することである。「労働における自己の生命と生殖における他者の生命、すなわち子供の生産」は、古典的学問において常識的見解である。生産という概念は物質的生産だけではなく、人間の生産を含む包括的概念として理解されるべきである。代表的な事例として以下の文章をあげておく。

 

Die Produktion des Lebens, sowohl des eignen in der Arbeit wie des fremden in der Zeugung, erscheint nun schon sogleich als ein doppeltes Verhältnis—einerseits als natürliches, andrerseits als gesellschaftliches Verhältnis….(K. Marx: Deutsche Ideologie 1845. In: MEW. Bd. 3, S. 29. )

 

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柳沢大臣更迭と自民党員の高笑い

 柳沢大臣の失言問題がマス・メディアにおいて騒がれている。多くの野党がこの失言問題に対して審議拒否を貫いている。その目的は大臣の更迭である。逆に言えば、大臣が更迭されれば、この問題は沈静化する。もちろん、安倍内閣の求心力は衰えるであろうが、すぐさま倒閣に結びつく案件とも考えられない。あくまでも、「比喩」があまりに反感を買ったからにすぎない。

 この騒動を内心大喜びしている自民党員がいるはずです。この大臣が更迭されれば、その後任人事が動き出すからだ。すでに、水面下で下馬評に上がっている大臣予備軍が少なくとも複数いるはずだ。この人物は内心では「野党頑張れ」と思っているにちがいない。少なくとも候補者として柳沢辞任後、マス・メディアを賑やかすことはまちがいなし、あわよくば、大臣になれるのだから。

 この失言問題はさしあたりその程度でしかないし、失言を大げさにとりあげるべきでもない。「取り消し」という法律行為はあっていい。審議拒否という伝家の宝刀を抜くのは、「共謀罪反対闘争」であるべきであり、すぎたことかもしれないが「教育基本法反対闘争」であったはずである。また、イラク侵攻反対闘争であった。イラクで数万人の人間を殺害する根拠が「大量破壊兵器の製造」であったならば、それを声高に述べていた国会議員がいたはずである。その問題に審議拒否という手段を用いるのであれば、正統性が与えられるのであろう。

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柳沢発言非難と教育基本法改正反対

 過日、教育基本基本法が改正された。この改正によって今後の文教政策の方向が基礎づけられた。もちろん、野党各党は反対したが、審議拒否にまでは至らなかった。ところが、この柳沢発言に対して非難だけではなく、審議拒否までして徹底抗戦の構えである。この姿勢を教育基本法反対闘争でも見せて貰いたかった。もちろん、ここで柳沢発言を擁護しようとしているのではない。その発言は間違っていると思われる。しかし、柳沢大臣を更迭して、他の自民党の大臣にするために、審議拒否する必然性がない。それに対して、少なくとも教育基本法改正を廃棄していれば、少なくとも教育基本法は従来のままであり、今後の文教政策も異なっていたであろう。それに対して、柳沢大臣の代わりに、他の自民党代議士を任命するために審議拒否する野党に対して、国民はその人気取り政策を嗤わないのであろうか。単なる失言に対して過剰に反応し、国の根幹に関わる部分に対しては「ぼちぼちやります=まじではない」という姿勢を見せることは、野党としての見識を疑われるであろう。

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落城寸前の御前会議と繁文縟礼

 無能な上司、あるいは有能であっても担当部署の細部に明るくない上司の仕事とは何であろうか。仕事それ自体に情熱が涌かない場合、書類の重箱を穿ることが仕事になる。改行を是正したり、あるいは「てにをは」の改善に異常な情熱を傾ける。落城まじかの御前会議のように、「方角がよくない」、「書類提出の日付をどのようにしようか」という繁文縟礼に通じた人間が重宝される。そこでは、落城という事実は無いかのようにふるまう。書類作成の細かな慣例が、落城によって無に帰することは、無視される。

 このような人間が多数を占める会社、あるいは組織の先はほぼ見えている。しかし、問題は落城という事実に気づいた人間がとる態度であろう。多数派がそのような議論に熱中しているときに、どのように振舞えばよいのであろうか。御教示いただきたい。

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