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ヒットラーも考えた禁煙

  健康増進法の目的は、「国民の栄養の改善その他の国民の健康の増進を図るための措置を講じ、もって国民保健の向上を図ることを目的とする」(同法第1条)ことにある。この法律はその手段として、食品衛生の向上等を挙げている。そのなかで突飛に第25条において受動喫煙禁止が規定されている。罰則のない努力規定にもかかわらず、その遵守の方針は公共機関のみならず、飲食店等に拡大している。多くの公共施設、とりわけ教育施設において校地内全面禁煙が導入されている。

そもそも、健康増進法の規定によれば、公共機関において禁煙にすべきということはありえない。せいぜい、分煙にすべきであるし、また少々の副流煙は受忍すべきものであるからだ。自動車の排気ガスを吸引すれば、即死であるが、タバコの煙を吸引してもそれほど健康に悪影響を与えることはない。煙草の煙に敏感な禁煙論者は自家用車の排気ガスを問題にしようとはしない。まさに、大きな悪は小さな悪を生贄にすることによって、栄える。ヒットラーと同様な政治手法を行使している。ちなみに、ヒットラーは禁煙主義者であったことは、ここで想起されてよいであろう。禁煙推進派はヒットラーの理想を後期近代において実現しようとする。ヒットラーでさえ実施しなかった愚策を、ここで推進しようとする。

ここでは、公的教育施設における全面禁煙について考えてみよう。もちろん、この施策には、法的根拠は何も無い。分煙を規定しているだけである。そのことを隠蔽するために、新たな根拠を創設しようとする。その根拠の一つが教育的配慮である。子供が喫煙することを防ぐために、大人も禁煙しようというものである。しかし、ここでは大人と子供は違うということを教えることが放棄されている。教育が放棄されている。子供は教育される人間であり、教師は教育する者である。教師は金銭を受け取るために、教育する。敷地内全面禁煙という施策は、教育労働の義務の一部を放棄している。

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