« 教育の放棄ーー馬鹿が禁煙でやって来る | トップページ | 討論会へのお誘いーー市役所の企画部長になったら »

企画部と全体知

 

 地方自治体における企画部、企画調整部

 著名な映画『生きる』(黒澤明監督、志村喬主演)においても、公園にブランコを作るという市民のささやか願いと自治体における部局の独立性の矛盾が描かれている。市民がその願いを持って市役所を訪れたとき、それぞれの部局の窓口はその願いを他の部局に回し、自分の部局では取上げようとしない。所謂、「盥回し」である。志村喬もまた、その部局における定年間近の末端の管理職であった。彼は自分に命令された事柄以外のことを進んでやろうとはしない。新たな仕事は別の部局に回す。他の部局も同様である。ところが、自己が末期癌に侵されていることを自覚したとき、この老管理職は、それぞれの部局を調整しながら歩く。公園にブランコを作るために。映画では公園に作られたブランコに乗りながら、生命の最期を迎える。「命短し、恋せ、乙女よ」という歌を口ずさみながら。

 このような老管理職の役割、部局の独立性を打破して、総合的観点からある政策を実行するための機関として、地方自治体において企画部、あるいは企画調整部という部局が、前世紀後半から出現してきた。それは、中央政府における内閣府の存立意義と相似している。それが形成された理由は、中央政府だけではなく、自治体においても各部局が独立してその利益を主張することにある。省益に対応する部局の利害が貫徹している。この独立性を廃して、重要な政策を実現するための機関として、企画部が創設された。

 ここでの問題点は、何がその自治体における最重要事項なのかを判断することが可能か否かである。近代社会思想史において、否定された全体知が要請されている。果たして、そのことは可能であろうか。この問題が企画部の存在様式において問われているのであろう。

|

« 教育の放棄ーー馬鹿が禁煙でやって来る | トップページ | 討論会へのお誘いーー市役所の企画部長になったら »

経済・政治・国際」カテゴリの記事