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いしいひさいちと小林よしのりーー共同性の位相

 先の記事において、いしいひさいち漫画における共同性と小林よしのり漫画における共同性の差異を論じた。その際、どちらも漫画における共同性も優劣がないと書いた。その意味をさらに詳細に論じてみよう。

 いしいひさいち漫画における共同性は、下層貧民における共同性を前提にしている。そこでは、あくまでも平等な主体として形成されている。この点は、後期近代における共同性との相似形をなしている。もちろん、実体として、この共同性は存在しない。しかし、理念上は大衆民主主義における基本構造、つまりどのような経済的差異、社会的地位の差異にもかかわらず、国民が平等であるはずだという市民社会の理念との関連性を保持している。

 それに対して、小林よしのり漫画における共同性は初期近代における共同性を前提にしている。もちろん、後期近代においてもこの共同性に対する憧憬はある。しかし、それは完全に過ぎ去った時代に対する憧憬でしかない。まさに、自民党政治の40年の支配はまさにこの共同性を破壊することにその目的があった。郵政民営化による地方破壊はその総決算にしかすぎない。地方、つまり郷土を破壊し、それに対する愛着をほぼ完璧に破壊してきた。この破壊された共同性に依拠する理論は、その実現性に問題があろう。もちろん、文学、あるいは漫画において、この共同性に依拠して、作品を形成することは可能である。しかし、もはや我々は愛すべき郷土を喪失している。

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