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人事と天命ーー大学教員の幸運と不運

 先ほどのブログで、占い師へのかなり甘い評価を述べてきた。人事を尽くしてもどうしようもないことは、世間に一般的であるからだ。しかし、「おさる」の例で述べたように、人事を尽くさず、天命にばかり依存することは、天命自身を侮辱することになる。

 ここで、大学教員資格と現実の大学教員になることも、この事例を考察する論拠につながるであろう。たとえば、社会思想と看護学を取り上げてみよう。社会思想に関する大学教員資格を持つものはかなり多い。しかし、その教員募集は年間を通して1件あるかないかである。社会思想だけを専攻するものを対象にした公募はほとんどないと言っても過言ではないであろう。経済思想、あるいは社会学との抱き合わせ公募である。その多くは、大学院修了後、10年から30年、浪人生活を余儀なくされる。その間、非常勤講師等でしのぐしかない。

 それに対して、看護学を研究対象にする公募は、その100倍にものぼるであろう。少なくとも年間を通して、公募はある。そこでは、社会思想を専攻する者に比較して、かなり容易な途であると考えられる。単純に比較することはできないが、後者においてその審査は社会思想にくらべれば、かなり柔軟であろう。少なくとも、博士論文を要求するような公募条件はほとんどない。学術図書を数冊要求されることは稀であろう。

 ここで、社会思想専攻者は、その不運を嘆くことが適当であろうか。果たして、大学教員になるというための人事を尽くしていることになるのであろうか。

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