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教員は教員らしくーーー社会的役割の転換不能性

 先の記事において、「分をわきまえろ」というかなり制限的生き方を述べた。しかし、同一の事柄をより積極的に言えば、以下のようになる。つまり、職業選択を例にとれば、一旦選択した社会的役割は転換困難であることである。若い時に選択した職業を後になって転換することは、困難であるのだ。通常の現代社会学の理論によれば、社会的役割、つまり機能は代替可能である。しかし、それは社会をマクロ的に見た場合でしかない。

 しかし、個人的水準に限っていえば、60歳近くまで教員をやって、先生と呼ばれることに慣れていた人間が、別の全くことなる職業、たとえばスナックの店長になることが可能であろうか。如何に現代社会において、転職が一般的であったとしても、それは同一の、あるいは周辺の職業に転換しているにすぎない。あるいは、ヘッドハンティングの例が示しているのように、ほとんど同業他社への移籍でしかない。

 この記事で主張していることは、その職業、たとえば教員であれば、その職業に邁進することでしかない。それ以外の方途はないことである。もちろん、例外はある。しかし、その例外には伏線があるはずである。外食をしたことがほとんどない、元教師が、水商売で成功するであろうか。教員組織という官僚機構の末端を担ってきた小学校教員が、退職後すぐさま、客商売が可能であろうか。

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