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大学教員への途と転進の困難性

 多くの人間にとって、就職ということが人生の転換点になることが多い。もちろん、就職しないという選択肢、つまり広義のニートになることや、就職した企業等から離職することも含めてである。しかし、人間にとって、その選択は必ずしも自己の適性を選んでなすわけではない。もちろん、自己の適性という観点もかなりいい加減である。

 たとえば、新聞社に就職しようとする。しかし、新聞社は巨大企業であり、新聞記者だけで運営されているのではない。広告代理店のような仕事や経理専門の仕事もあるし、拡販、配送業務も重要な役割を担っている。このどれに適性があるのか、必ずしも明瞭ではない。

 大学教員という職業においてもその役割は多様である。生徒集めという観点から、退職高校教員、教育委員会出身者が必要であろうし、広告塔という意味で芸能人が大学教授になることも必要かもしれない。大学教員がすべて研究者ではない。しかし、20数年前までは、大学教員とは研究者であるべきであるという確固とした前提があった。この前提が今崩壊している。これから大学教員になろうとする者は、このようなことも考慮しているのであろう。しかし、今まで大学教員とは研究者である信念のもとに研究を継続してきた博士号取得者は、このような状況下において何をなすべきであろうか。研究者を止めて、別の道に転進可能であろうか。40歳、50歳を越えて研究以外の業績を積むことはほとんど不可能であろう。

 必要以上に媚を売ってもしようがないし、ペコペコしてもしようがない。研究方向を自らの信念に従って設定するしかない。

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