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ニート論Ⅲ後編: 労働への蔑視

さらに、後期近代が明白になるに従い、大学進学率だけではなく、大学院進学率もこの飛躍的に上昇した。30年前には、ほとんど聞いたことのない大学も、大学院を新設している。大学院進学を修士課程に限定しても、20歳代半ばまで、労働から解放されている。

 このように考察すると、一人の労働者の生存期間において、労働する時間は人生の半分にも満たない。20歳代なかばで労働に従事し始め、60歳前後で年金生活に入ると仮定すれば、労働に従事する時間は40年前後でしかない。人生80年としても、その半分ほどしか、労働に従事していない。

 近代社会は労働時間を減少させてきた。初期近代の西欧社会において12時間労働、週休一日は珍しいものではなかった。週70時間労働制であった。しかし、後期近代の西欧において週35時間は労働組合の基本的要求になった。少なくとも、年間労働時間は半減している。

 このように近代社会は生涯、一日、一週、一年あたりの労働時間を減少させた。他方で、労働時間を減少させることが善であるという思想は、労働そのものに対する社会的承認力を減少させた。端的に言えば、労働は尊いものではなく、むしろ卑しいものになった。若者の一部がニートとして労働を拒否することになる。労働が社会参加の形式として尊敬されないならば、それを拒否することも生じる。労働時間を減少させることが善であるという思想が、労働それ自体が悪であるという転倒した思想を産出した。初期近代と後期近代における差異は多々の論点にわたるが、労働に対する社会的承認の減少もまたその一つである。

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