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ニート論Ⅵ前編; 博打者としてのニート

Ⅵ 賭博とニート

 百歩譲って、あるニート君が何らかの目的を持ったと仮定しよう。それは、音楽家でも良いし、弁護士でも良い。しかし、問題はその期限が明確になっていないことにある。ニートとして存在している若者はいつまでニートを継続するのであろうか。その期限を自分、あるいは両親と明確にしておく必要があろう。そのかぎり、ニート的な生活をしながら、夢を追うということも許されるのも知れない。しかし、この時間を限定するという行為は、自分あるいは両親との約束であるかぎり、守られない可能性もある。ニート的生活が永遠になり、死ぬまで(本人、あるいは両親)までニートという途も残されている。それは本人もまた幻想のなかで生活することになる。

 さらに、この天職を追求するという態度は、賭博者の心情と相似している。今は敗北しているが、明日には、勝つということを前提にしている。賭博者は、現在は負けていても、将来勝つことを前提にしている。10万円投資して勝てなければ、100万円投資するだけである。司法試験は最難関の国家試験の一つとされている。その合格のためには、多くの受験者が20歳代の人生を賭けている。もちろん、在学中に合格する学生もいるが、その多くは大学卒業後、数年間、ほぼニートと同様な生活をしている場合もある。

しかし、30歳、あるいは40歳を超えると問題は、複雑になる。その多くは、所得税免除という低収入に満足しなければならないからである。これらの受験生の多くは、名門大学、あるいは大学院の卒業者であり、気位も高い。同窓会に行けば、年収数千万円の同級生もいるし、その多くは家族を養い、子供の話題に花が咲いている。にもかかわらず、高校生のバイトとほとんど変わらない収入しかないニート君は、その輪の中にはいることはない。

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