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ニート論Ⅵ中編: 人生は賭博?

 

しかも、40歳を超えると、就職もままならない。このような受験者は、いつかその途を断念しなければならないはずであるが、おそらく生涯受験するしか選択の幅はない。もちろん、50歳を超えて合格する場合もある。ちょうど、高校卒業後、10年以上予備校に通い、東大に入学する事例に似ている。合格は喜ばしいが、大学に入学して何を学ぶつもりであろうか、という疑問が生じてくるからである。

このように永遠のニートは、なぜ生じるのであろうか。自己の永遠性と無限性を信じているからである。そこには、自分自身が変化することを考慮にいれていない。司法試験合格に人生を賭けるニートは、自らの能力に絶大な信頼を置いており、能力が減少していくことに気がつかない。肉体、そして精神もまた摩滅していく。人間が老化し、屑鉄化してくる。

にもかかわらず、永遠に勉学、研究を続けることによって、目標が達成されると信じている。それは、結婚できない男女を表している負け犬と同様である。負け犬は言い寄ってくる異性が若いときには多くいたはずである。にもかかわらず、現に言い寄ってくる異性よりも、将来においてよりよい異性が言い寄ってくるという心情を保持している。今年は合格しなかった、あるいは目標が達成されなかった、あるいは言い寄ってくる異性は冴えなかったが、来年は良い結果が生じるであろうと自分自身に言い聞かせている。将来がなぜ、今よりもよくなると仮定できるのであろうか。10年立てば、容姿も衰え、記憶力も衰退してゆく。時間は限定されている。時間の限定性を忘れ、永遠に受験勉強をしている自己を想像している。人間の有限性を忘却している。

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