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禁煙と一元的世界、困ったJR東日本

 http://newsflash.nifty.com/search?action=1&func=2&article_id=ts__kyodo_20060606ts020&csvname=785353276

 JR北海道に続いて、JR東日本が新幹線、特急電車の全面禁煙を公表した。JR北海道という関連のある会社が、禁煙を公表したときに、嫌な予感がしていた。まず、JR北海道がアドバルーンを揚げて、その様子を見ているのが明らかであった。まさに、悪い予感が的中したようである。

 そもそも、健康増進法の規定によれば、公共機関において禁煙にすべきということはありえない。せいぜい、分煙にすべきであるし、また少々の副流煙は受忍すべきものであるからだ。自動車の排気ガスを吸引すれば、即死であるが、タバコの煙を吸引してもそれほど健康に悪影響を与えることはない。煙草の煙に敏感な禁煙論者は自家用車の排気ガスを問題にしようとはしない。まさに、大きな悪は小さな悪を生贄にすることによって、栄える。ヒットラーと同様な政治手法を行使している。ちなみに、ヒットラーは禁煙主義者であったことは、ここで想起されてよいであろう。

 さらに、このような喫煙者を馬鹿にした規定を作成したことによって、JR北海道、JR東日本は、鉄道利用客が高速道路を使用した移動手段、航空機等に流れることを甘受すべきである。そのことによって、もし経営が悪化しても、自業自得であろうし、まさに今風の言葉を使用すれば自己責任であろう。

 ただし、本ブログはここでタバコを吸引することを主張しているのではない。むしろ、愛煙家も生きてゆける環境を整備すべきであると、主張しているにすぎない。少数者を抑圧し、一元的世界を構成することが、ヒットラーの主張と近似していることを指摘しているにすぎない。共生という原理がここでも適用されるべきである。少々の不快なことを追求するあまり、大きな原理を侵犯していることに、JR北海道、JR東日本は気づくべきであろう。

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