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 世界の構造的認識の可能性ーー実体

 

41 世界の究極性と実体

 世界の究極的存在があるという見解は、珍しいものではない。このあるものは、前近代においては、神と総称されていた。また、近代においても神を信じるということは、世界の主要宗教において継続している。しかし、この神は世界内存在ではなく、世界外存在として構成されている。神が世界を創造したという言葉に象徴されるように、世界超越的存在であった。神は自由意志あるいは裁量的行為として世界を創造し、創造できた。それに対して、スピノザは世界内存在としての神を実体と考えた。世界内の現存在は、この実体から流出した様態である。

 世界内存在としての実体は神であると同時に、世界内の現存在でもある。世界の万物は、実体の内にあり、実体は万物そのものである。世界の万物が世界内存在としての実体と必然的連関のうちにあるかぎり、世界において偶然性は存在せず、すべては必然的連関のうちにある。

 人間的理性はこの必然的連関の構造を洞察するだけである。もちろん、実体ではない有限な人間が、この連関構造すべてを洞察することは不可能であろう。しかし、世界が必然的連関の内にあることによって、世界それ自体の構造に関する認識が可能になる。万物を包摂する世界内存在があること、このことこそが世界認識の基礎になる。

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