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少子化と世界連関

 若者が世界の現状、況やその変革に情熱を喪失しているという批判がある。しかし、1980年代以降の後期近代において、世界把握の不可能性が社会的に承認されて以降、そのための理論的基礎が崩壊しているのだ。そのような世界を提示可能な研究者は、知的誠実性を有しているかぎり、少なくとも大学においては存在しない。むしろ、宗教的な小集団指導者がその役割を担っているのであろう。

 同時に、若者はそして中壮年もまた、世界ではなく、自己=私の探求に勤しんでいる。勤しむだけであれば問題はないが、自己の想念の飛躍的増大は他者それ自体の拒絶にまで至っている。否、自己完結的な世界が世界一般と等置されることによって、他者に対する攻撃にまで至っている。

 このような若者が結婚して、子供を生むという行為から遠いことは当然であろう。少子化対策として育児費用の国庫負担、託児所、保育所の拡充等は、厚生労働省の省益を拡大するだけであり、少子化対策にはならない。むしろ、教育機関において、世界観的学問を拡充することが、一見迂遠な作業であるかの外観を呈しているかもしれないが必要であろう。どのような形で私が世界と関連しているのかが、問題にされるべきである。私という存在もまた、世界連関の一つでしかないことが、確認されるべきである。

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