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生まれつきか、生まれた後か、--観念の生成

人間の観念が生来のものであるのか、あるいは生まれた後の社会的行為を通じて発生すrのか、という論争が初期近代にあった。それは、人間の観念が生得的(生まれつき)であるのか、あるいは生まれたときには、人間は白紙であるかのという大陸合理論哲学とイギリス経験論哲学の論争である。この論争は、人間の能力を考えるうえで、興味深い。 

 生得観念が認められていることによって、人間は理性的存在として規定されている。人間は神によって創造された、生来の理性的存在者であり、万人が理性的存在者である。平等かつ同質的人間像が構成され、理性的人間が自己自身に基づいて真理に到達可能である。複雑な世界が単純な原理に還元されることによって、この真理に万人が接近可能である。平等的世界像が成立し、政治的領域における一人一票制が成立する。身分制的原理において、身分が上昇すればするほど、理性をより多く持ち、身分が低いほど、理性をより少なく持つ。支配あるいは政治的なものに従事する身分と、そこから除外された身分が明確に区別されている。後期の身分制社会において、その原理を根本的に否定する近代的論理が現れる。この点はロックのタブラ・ラサの理論と同様な平等主義人間像を描いている。この点では、大陸合理論とイギリス経験論は相対立する議論ではなく、平等主義的な人間像を選ぶという意味において初期近代特有の思想である。

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