« 少子化とより良い生活の矛盾 | トップページ | 生まれつきか、生まれた後か、--観念の生成 »

少子化と自由論、共同的自由と個人的自由 

自由はイギリス経験論のコンテキストにおいて、個人的自由として考察された。しかし、ドイツ観念論において、共同的自由として考察された。共同的自由がなぜ、問題になるのか。逆に言えば、自由を個人的自由と等置することは、無意味ではないのか。個人的自由は、近代を俟つまでもなく、前近代社会を通低する思想として構成可能である。イギリス経験論は、前近代からの自由の形式を踏襲したにすぎない。

 この共同的自由の概念が忘却されることによって、個人の自由が増大してきた。その極限には、共同体から自立した個人という概念が形成される。この個人化された自己意識は、もはや肥大化し、自ら出生基盤そのもの、つまり人類の再生産ということも放棄する。少子化、子供を生産することは、馬鹿の証明という倒錯した議論が現れる。

|

« 少子化とより良い生活の矛盾 | トップページ | 生まれつきか、生まれた後か、--観念の生成 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事