世界の改革は可能か
世界革命という概念が死語になって久しい。世界革命の前提になっていた世界把握がもはや問題にならなくなったからだ。初期近代においては以下のような物語が社会的に承認されていた。
「哲学者のみが、世界を解釈できる。未来社会に対する近代社会=現存社会における社会的承認が必要とされる。まず、近代社会の理念=自由の総体が、提示されねばならない。近代社会の矛盾(たとえば、資本家と労働者との矛盾)が未来社会において揚棄される根拠が示されねばならない。現存する社会において、未来社会が現存する社会よりも優れていることが提示されねばならない。もし、そうでなければ、未来社会への現存社会における社会的承認は、得られない。この矛盾が社会主義において拡大するのであれば、その社会に承認力は減じるであろう。」
このような物語が承認力を喪失したことによって、後期近代が始まる。そこで追放された世界把握という概念は、日常的意識あるいは宗教的意識に拡散されてしまった。
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